半七捕物帳 津の国屋13

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岡本綺堂 半七捕物帳シリーズ 第16話

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問題文

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(もじはるはおゆきがかわいそうでならなかった。おゆきはなんにもしらないにそういない。)

文字春はお雪が可哀そうでならなかった。お雪はなんにも知らないに相違ない。

(しらなければこそへいきでそんなことをいっているのであろう。むしろしょうじきに)

知らなければこそ平気でそんなことを云っているのであろう。むしろ正直に

(なにもかもうちあけて、なんとかようじんするようにちゅういしてやりたいとはおもったが、)

何もかも打ち明けて、なんとか用心するように注意してやりたいとは思ったが、

(どうもおもいきってそれをいいだすほどのゆうきがなかった。かれはいいかげんの)

どうも思い切ってそれを云い出すほどの勇気がなかった。かれはいい加減の

(へんじをしてそのばをすませてしまった。)

返事をして其の場を済ませてしまった。

(ぼんやすみがすぎてから、おゆきはししょうのところへきてまたこんなことをいった。)

盆休みが過ぎてから、お雪は師匠のところへ来て又こんなことを云った。

(「おしょさん。うちのおとっさんはいんきょしてぼうずになるといいだしたのを、)

「お師匠さん。家のお父っさんは隠居して坊主になると云い出したのを、

(おっかさんやばんとうがとめたんで、まあおもいとどまることになったんですよ」)

阿母さんや番頭が止めたんで、まあ思い止まることになったんですよ」

(「ぼうずに・・・・・・」と、もじはるもおどろいた。「だんながぼうずになるなんて、)

「坊主に……」と、文字春もおどろいた。「旦那が坊主になるなんて、

(いったいどうなすったんでしょうねえ」)

一体どうなすったんでしょうねえ」

(じゅうににちのあさ、ぼだいじのじゅうしょくがつのくにやへきた。たなぎょうをよんでしまってから、)

十二日の朝、菩提寺の住職が津の国屋へ来た。棚経を読んでしまってから、

(かれはちかごろごしんるいちゅうにごふこうでもござったかときいた。このやさきにとつぜん)

彼は近ごろ御親類中に御不幸でもござったかと訊いた。この矢先に突然

(そんなことをきかれて、つのくにやのふうふもぞっとした。しかしなんにもこころあたりは)

そんなことを訊かれて、津の国屋の夫婦もぞっとした。併しなんにも心当りは

(ないとこたえると、じゅうしょくはくびをかしげてだまっていた。そのそぶりがなんとなく)

ないと答えると、住職は首をかしげて黙っていた。その素振りがなんとなく

(しさいありそうにみえたので、ふうふはだんだんといつめると、このごろみよほど)

仔細ありそうに見えたので、夫婦はだんだん問いつめると、この頃三夜ほど

(つづいて、つのくにやのはかのまえにわかいおんなのすがたがけむのようにたっているのを、)

続いて、津の国屋の墓のまえに若い女の姿が煙のように立っているのを、

(じゅうしょくはたしかにみとどけたというのであった。きもののいろもようははっきりとは)

住職はたしかに見とどけたというのであった。着物の色模様ははっきりとは

(わからなかったが、しろじになでしこをそめだしてあったようにみえたと、)

判らなかったが、白地に撫子を染め出してあったように見えたと、

(じゅうしょくはさらにせつめいした。)

住職はさらに説明した。

(それでもやはりこころあたりはないといいきって、ふうふはそうとうのおきょうりょうをおくって、)

それでもやはり心あたりはないと云い切って、夫婦は相当の御経料を贈って、

など

(じゅうしょくをかえしてやったが、そのゆうがたからおふじのあしはまたつよくいたみだした。)

住職を帰してやったが、その夕方からお藤の足はまた強く痛み出した。

(じろべえもきぶんがわるいといってよいからねてしまった。よなかにふうふがかわるがわるに)

次郎兵衛も気分が悪いと云って宵から寝てしまった。夜なかに夫婦が交る文るに

(うなりだしたので、うちじゅうのものがおどろいておきた。おふじのいたみはよくじつさいわいに)

唸り出したので、家じゅうの者がおどろいて起きた。お藤の痛みは翌日幸いに

(うすらいだが、じろべえはやはりきぶんがわるいといって、めしもろくろくにくわないで)

薄らいだが、次郎兵衛はやはり気分が悪いと云って、飯も碌々に食わないで

(はんにちはねたりおきたりしていたが、ひるすぎからてらまいりにでていった。)

半日は寝たり起きたりしていたが、午すぎから寺まいりに出て行った。

(しかしそのばん、むかいびをたくときに、しゅじんだけはかどぐちへかおをださなかった。)

しかしその晩、迎い火を焚く時に、主人だけは門口へ顔を出さなかった。

(じゅうごのおくりびをたいてしまってから、じろべえはにょうぼうとばんとうとを)

十五の送り火を焚いてしまってから、次郎兵衛は女房と番頭とを

(おくのまへよんで、じぶんはもういんきょするととつぜんいいだした。にょうぼうはもちろん)

奥の間へ呼んで、自分はもう隠居すると突然云い出した。女房は勿論

(おどろいたが、ばんとうのきんべえもびっくりして、しゅじんにそのしさいをききただしたが、)

おどろいたが、番頭の金兵衛もびっくりして、主人にその仔細を聞き糺したが、

(じろべえはくわしいせつめいをあたえなかった。しかしそれがじゅうさんにちのひるすぎに)

次郎兵衛はくわしい説明をあたえなかった。しかしそれが十三日の午すぎに

(てらまいりにいって、じゅうしょくとなにかそうだんのけっかであるらしいことはそうぞうされた。)

寺まいりに行って、住職となにか相談の結果であるらしいことは想像された。

(しゅじんがとつぜんのいんきょにたいして、きんべえはあくまではんたいであった。にょうぼうのおふじも)

主人が突然の隠居に対して、金兵衛はあくまで反対であった。女房のお藤も

(やはりふどういで、たといいんきょするにしても、むすめにそうとうのむこをとってういまごのかおでも)

やはり不同意で、たとい隠居するにしても、娘に相当の婿をとって初孫の顔でも

(みたうえでなければならないとしゅちょうした。そのおしもんどうのあいだに、じろべえは)

見た上でなければならないと主張した。その押し問答のあいだに、次郎兵衛は

(たんにいんきょするばかりでなく、いんきょとどうじにしゅっけするけっしんであることが)

単に隠居するばかりでなく、隠居と同時に出家する決心であることが

(わかったので、にょうぼうもばんとうもまたおどろいた。ふたりはなみだをながしていっときあまりも)

判ったので、女房も番頭も又おどろいた。二人は涙を流して一時晌あまりも

(いけんして、どうにかこうにかしゅじんのけっしんをにぶらせた。)

意見して、どうにかこうにか主人の決心をにぶらせた。

(「おとっさんがああいうのもむりはないけれど、いまだしぬけにそんなことを)

「お父っさんがああ云うのも無理はないけれど、今だしぬけにそんなことを

(されちゃあ、このつのくにやのみせもどうなるかわからないからねえ」と、)

されちゃあ、この津の国屋の店もどうなるか判らないからねえ」と、

(おふじはあくるあさ、むすめのおゆきにそっとはなした。)

お藤はあくる朝、むすめのお雪にそっと話した。

(このはなしをきかされて、もじはるははらのなかでうなずういた。つのくにやのしゅじんが)

この話をきかされて、文字春は肚のなかでうなずういた。津の国屋の主人が

(いんきょしてあたまをかりまるめようとするしさいもたいていさとられた。おそらくぼだいじの)

隠居して頭を刈り丸めようとする仔細も大抵さとられた。おそらく菩提寺の

(じゅうしょくにいんがをとかれて、おやすのしりょうのうらみをとくために、にわかにほっしんして)

住職に因果を説かれて、お安の死霊の恨みを解くために、俄かに発心して

(しゅっけをおもいたったのであろう。にょうぼうやばんとうがそれにはんたいしたのもむりはないが、)

出家を思い立ったのであろう。女房や番頭がそれに反対したのも無理はないが、

(みすみすしりょうにつきまとわれてつのくにやのみせをかたむけるよりも、おゆきに)

見す見す死霊に付きまとわれて津の国屋の店をかたむけるよりも、お雪に

(しかるべきむこをとってじぶんはいんきょしてしまったほうが、むしろあんぜんでは)

然るべき婿を取って自分は隠居してしまった方が、むしろ安全では

(あるまいかとおもわれた。しかし、そんなことをめったにくちにすべきものでは)

あるまいかと思われた。しかし、そんなことを滅多に口にすべきものでは

(ないので、かのじょはだまっておゆきのはなしをきいていた。)

ないので、彼女は黙ってお雪の話を聴いていた。

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