半七捕物帳 津の国屋16

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岡本綺堂 半七捕物帳シリーズ 第16話

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(くがつもとおかをすぎて、あさばんはもううすらさむくなってきた。もじはるはひるまえのけいこを)

九月も十日をすぎて、朝晩はもう薄ら寒くなって来た。文字春は午前の稽古を

(すませて、ひるからしんめいのまつりにさんけいしようとおもって、きものなどを)

すませて、午から神明の祭りに参詣しようと思って、着物などを

(きがえていると、だいどころのくちであんないをもとめるこえがきこえた。こおんながでてみると、)

着替えていると、台所の口で案内を求める声がきこえた。小女が出てみると、

(もうごじゅうちかいおんながこごしをかがめてえしゃくした。)

もう五十近い女が小腰をかがめて会釈した。

(「あの、おしょさんはおうちでしょうか」)

「あの、お師匠さんはお家でしょうか」

(せまいうちでそのこえはすぐにこっちへもきこえたので、もじはるはあわてて)

狭い家でその声はすぐにこっちへも聞えたので、文字春はあわてて

(おびをむすびながらでた。)

帯をむすびながら出た。

(「おまえさんがおしょさんでございますか」と、おんなはあらためてえしゃくした。)

「おまえさんがお師匠さんでございますか」と、女は改めて会釈した。

(「だしぬけにこんなことをねがいにでますのもなんでございますが、おしょさんは)

「だしぬけにこんなことを願いに出ますのも何でございますが、お師匠さんは

(あのつのくにやさんとおこころやすくしておいでなさるそうでございますね」)

あの津の国屋さんとお心安くしておいでなさるそうでございますね」

(「はあ、つのくやさんとはごこんいにしています」)

「はあ、津の国屋さんとは御懇意にしています」

(「うけたまわりますと、あのみせではじょちゅうさんがなくってこまっているとか)

「うけたまわりますと、あの店では女中さんが無くって困っているとか

(もうすことですが・・・・・・。わたくしはあおやまにおりますもので、どこへかごほうこうに)

申すことですが……。わたくしは青山に居ります者で、どこへか御奉公に

(でたいとぞんじておりますところへ、そんなおうわさをうかがいましたもんですから、)

出たいと存じて居りますところへ、そんなお噂をうかがいましたもんですから、

(わたくしのようなものでよろしければ、そのつのくやさんでつかっていただきたいと)

わたくしのような者で宜しければ、その津の国屋さんで使って頂きたいと

(ぞんじまして・・・・・・。けれども、けいあんのてにかかるのはいやでございますし、)

存じまして……。けれども、桂庵の手にかかるのは忌でございますし、

(つのくやさんへだしぬけにでますのもなんだかへんでございますから、)

津の国屋さんへだしぬけに出ますのも何だか変でございますから、

(まことにごむりをねがってあいすみませんが、どうかおしょさんのおくちぞえを)

まことに御無理を願って相済みませんが、どうかお師匠さんのお口添えを

(ねがいたいとぞんじまして・・・・・・」)

願いたいと存じまして……」

(「ああ、そうですか」)

「ああ、そうですか」

など

(もじはるもすこしかんがえた。だんだんにさむぞらにむかって、つのくにやでほうこうにんに)

文字春も少しかんがえた。だんだんに寒空にむかって、津の国屋で奉公人に

(こまっているのはわかりきっている。としはすこしとっているし、あまりじょうぶそうにも)

困っているのは判り切っている。年は少し老っているし、あまり丈夫そうにも

(みえないが、このおんなひとりがすみついてくれればつのくにやでもどのくらい)

見えないが、この女一人が住み付いてくれれば津の国屋でもどのくらい

(たすかるかもしれない。おゆきもみずしごとをしないですむかもしれない。)

助かるかもしれない。お雪も水仕事をしないで済むかも知れない。

(まことにいいつごうであるとおもったが、なにをいうにもあいてはしょたいめんのおんなである。)

まことにいい都合であると思ったが、なにをいうにも相手は初対面の女である。

(みもともきごころもまるでしれないものをうかつにひきあわせるわけにはいかないと、)

身許も気心もまるで知れないものを迂闊に引き合わせる訳には行かないと、

(かのじょはしばらくそのへんとうにちゅうちょしていると、おんなもそれをさっしたらしく、)

彼女はしばらくその返答に躊躇していると、女もそれを察したらしく、

(きのどくそうにいった。)

気の毒そうに云った。

(「だしぬけにでましてこんなことをもうすのですから、さだめてうろんなやつと)

「だしぬけに出ましてこんなことを申すのですから、定めて胡乱な奴と

(おぼしめすかもしれませんが、いよいよおつかいくださるときまりますれば、)

おぼしめすかも知れませんが、いよいよお使いくださると決まりますれば、

(みもともくわしくもうしあげます。けっしておまえさんにごめいわくはかけませんから」)

身許もくわしく申し上げます。決しておまえさんに御迷惑はかけませんから」

(「じゃあ、すこしここにまっていてください。ともかくもむこうへいって)

「じゃあ、少しここに待っていてください。ともかくも向うへ行って

(きいてきますから」)

訊いて来ますから」

(でさきでちょうどきものをきかえているのをさいわいに、もじはるはすぐにつのくにやへ)

出先でちょうど着物を着かえているのを幸いに、文字春はすぐに津の国屋へ

(かけていった。にょうぼうにあってそのはなしをすると、つのくにやでは)

駈けて行った。女房に逢ってその話をすると、津の国屋では

(こまりきっているさいちゅうであるので、すぐにそのほうこうにんをつれてきてくれといった。)

困り切っている最中であるので、すぐにその奉公人を連れて来てくれと云った。

(「おしょさんのおかげでたすかります」と、おゆきもしきりにれいをいった。)

「お師匠さんのおかげで助かります」と、お雪もしきりに礼を云った。

(もじはるはみなかられいをいわれて、よいことをしたとよろこびながらうちへかえって、)

文字春は皆から礼を云われて、善いことをしたと喜びながら家へ帰って、

(すぐにそのおんなをつのくにやへつれていった。おんなはおかくといって、としがとしだけに)

すぐにその女を津の国屋へ連れて行った。女はお角といって、年が年だけに

(おうたいもぎょうぎもひととおりこころえているらしいので、つのくにやではこしょうなしに)

応待も行儀もひと通り心得ているらしいので、津の国屋では故障なしに

(やといいれることにきめた。)

雇い入れることに決めた。

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