半七捕物帳 湯屋の二階5

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岡本綺堂 半七捕物帳シリーズ 第四話
タイトルの「湯屋」は「ゆうや」と読みます。

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問題文

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(くまぞうのほうこくによると、ゆうべどうちょうないのいせやというしちやへろうにんふうのににんぐみの)

熊蔵の報告によると、ゆうべ同町内の伊勢屋という質屋へ浪人風の二人組の

(おしこみがはいって、れいのぐんようきんをいいたてにありがねをだせといった。)

押し込みがはいって、例の軍用金を云い立てに有り金を出せと云った。

(こっちですなおにわたさなかったので、かれらはたちをふりまわしてしゅじんとばんとうに)

こっちで素直に渡さなかったので、かれらは大刀をふり廻して主人と番頭に

(てをおわせた。そうして、そこらにありあわせたかねをはちじゅうりょうほどひっさらって)

手を負わせた。そうして、そこらに有合わせた金を八十両ほど引っさらって

(いった。ふくめんしていたからはっきりとはわからないが、かれらのにんそうや)

行った。覆面していたから判然(はっきり)とは判らないが、かれらの人相や

(としごろがかのふたりのあやしいぶしにふごうしているとくまぞうはつけくわえた。)

年頃が彼(か)の二人の怪しい武士に符合していると熊蔵は付け加えた。

(「どうしてもあいつらですよ。わっしのにかいをあしだまりにしてやつらはそこらを)

「どうしても彼奴らですよ。わっしの二階を足溜りにして奴らはそこらを

(あらしてあるくつもりにそういありませんぜ。)

荒らして歩くつもりに相違ありませんぜ。

(はやくなんとかしなけりゃあなりますめえ」)

早く何とかしなけりゃあなりますめえ」

(「そいつはうっちゃっておけねえな」と、はんしちもかんがえていた。)

「そいつは打捨(うっちゃ)って置けねえな」と、半七も考えていた。

(「うっちゃっておけませんとも・・・・・・。そのうちによそからてでも)

「打捨って置けませんとも……。そのうちに他(よそ)から手でも

(つけられたひにゃあ、おやぶんばかりじゃねえ、このゆやくまのつらが)

着けられた日にゃあ、親分ばかりじゃねえ、この湯屋熊の面が

(たちませんからね」)

立ちませんからね」

(そういわれると、はんしちもおちついていられなくなった。じぶんがいったんてを)

そう云われると、半七も落ち着いていられなくなった。自分が一旦手を

(つけかけたしごとを、ほかのものにさらっていかれるのはいかにもくやしい。)

着けかけた仕事を、ほかの者にさらって行かれるのは如何にも口惜しい。

(といって、むしょうこのものをむやみにめしとるわけにはいかなかった。)

と云って、無証拠のものを無暗に召捕るわけには行かなかった。

(ましてあいてはぶしである。うかつにてをだして、とんださかねじを)

まして相手は武士である。迂闊に手を出して、飛んだ逆捩(さかねじ)を

(くってはならないともおもった。)

食ってはならないとも思った。

(「なにしろ、おめえはうちへかえって、そのさむれえがきょうもくるか)

「なにしろ、おめえは家へ帰って、その武士(さむれえ)がきょうも来るか

(どうだかきをつけろ。おれもしたくをしてあとからいく」)

どうだか気をつけろ。おれも支度をしてあとから行く」

など

(くまぞうをかえして、はんしちはすぐにあさめしをくった。それからみじたくをしてあたごしたへ)

熊蔵を帰して、半七はすぐに朝飯を食った。それから身支度をして愛宕下へ

(でかけていったが、そのとちゅうにすこしよりみちをするようがあるので、ひかげちょうのほうへ)

出かけて行ったが、その途中に少し寄り道をする用があるので、日陰町の方へ

(まわってゆくと、あいづやというかたなやのまえにひとりのわかいぶしがこしをかけて、)

廻ってゆくと、会津屋という刀屋の前に一人の若い武士が腰を掛けて、

(なにかばんとうとかけあっているらしかった。ふとみると、そのぶしは)

なにか番頭と掛け合っているらしかった。ふと見ると、その武士は

(きのうゆやのにかいではじめてであったあやしいはこのもちぬしであった。)

きのう湯屋の二階で初めて出逢った怪しい箱の持ち主であった。

(はんしちはたちどまってじっとみていると、ぶしはやがてばんとうからかねをうけとって、)

半七は立ち停まってじっと視ていると、武士はやがて番頭から金をうけ取って、

(そうそうにこのみせをでていった。すぐにそのあとをつけようかともおもったが、)

早々にこの店を出て行った。すぐにその後を尾(つ)けようかとも思ったが、

(なにかてがかりをさぐりだすこともあろうと、かれはひっかえして)

なにか手がかりを探り出すこともあろうと、彼は引っ返して

(あいづやのみせへはいった。)

会津屋の店へはいった。

(「おはようございます」 「かんだのおやぶん、おはようございます」)

「お早うございます」 「神田の親分、お早うございます」

(ばんとうははんしちのかおをしっていた。)

番頭は半七の顔を識っていた。

(「はるになってからばかにひえますね」と、はんしちはみせにこしをかけた。)

「春になってから馬鹿に冷えますね」と、半七は店に腰をかけた。

(「つかねえことをききもうすようだが、いまここをでたぶけは)

「つかねえことを訊き申すようだが、今ここを出た武家は

(おなじみのひとですかえ」)

お馴染みの人ですかえ」

(「いいえ、はじめてみえたかたです。こんなものをもちあるいて、)

「いいえ、初めて見えた方です。こんなものを持ち歩いて、

(そこらでに、さんけんことわられたそうですが、とうとうわたしのうちへおしつけて)

そこらで二、三軒ことわられたそうですが、とうとう私の家へ押し付けて

(いってしまったんですよ」と、ばんとうはにがわらいをしていた。)

行ってしまったんですよ」と、番頭は苦笑いをしていた。

(そのかたわらにはなにかあぶらがみにつつんだこわばったものがよこたえてあった。)

その傍らには何か油紙に包んだ硬(こわ)ばった物が横たえてあった。

(「なんですえ、それは・・・・・・」 「こんなもので・・・・・・」)

「何ですえ、それは……」 「こんなもので……」

(あぶらがみをあけると、そのなかからうすぐろいどろまぶれのさかなのようなものがあらわれた。)

油紙をあけると、そのなかから薄黒い泥まぶれの魚のようなものが現われた。

(それはかたなのつかやさやをまくどろざめであるとばんとうがせつめいした。)

それは刀の柄や鞘を巻く泥鮫であると番頭が説明した。

(「さめのかわですか。こうしてみると、ずいぶんきたないもんですね」)

「鮫の皮ですか。こうして見ると、随分きたないもんですね」

(「まだしあげのすまないどろざめですからね」と、ばんとうはそのきたないさめのかわを)

「まだ仕上げの済まない泥鮫ですからね」と、番頭はそのきたない鮫の皮を

(うちかえしてみせた。)

打返して見せた。

(「ごしょうちのとおり、このさめのかわはたいていいこくのとおいしまからくるんですが、)

「御承知の通り、この鮫の皮はたいてい異国の遠い島から来るんですが、

(みんなどろだらけのままおくってきて、こっちであらったりみがいたりして)

みんな泥だらけのまま送って来て、こっちで洗ったり磨いたりして

(はじめてまっしろなきれいなものになるんですが、そのしあげがなかなか)

初めてまっ白な綺麗なものになるんですが、その仕上げがなかなか

(めんどうでしてね。それにうっかりするとひどいそんをします。)

面倒でしてね。それに迂闊(うっかり)するとひどい損をします。

(なにしろこのとおりどろだらけでくるんですから、すっかりしあげてみないうちは、)

なにしろこの通り泥だらけで来るんですから、すっかり仕上げて見ないうちは、

(きずがあるかちじみがあるかよくわかりません。きずはまあいいんですが、)

傷があるか血暈(ちじみ)があるか能く判りません。傷はまあ好いんですが、

(ちじみというやつがまことにこまるんです。なんでもさめをつきころしたときに、)

血暈という奴がまことに困るんです。なんでも鮫を突き殺した時に、

(そのなまちがかわにしみつくんだそうですが、これがいくらあらっても)

その生血(なまち)が皮に沁み着くんだそうですが、これが幾ら洗っても

(みがいてもぬけないのでこまるんです。まっしろなさめのはだにうすぐろいてんがついていちゃあ)

磨いても脱けないので困るんです。まっ白な鮫の肌に薄黒い点が着いていちゃあ

(うりものになりませんからね。もちろんそういうものはうるしをかけてごまかしますが、)

売物になりませんからね。勿論そういうものは漆をかけて誤魔かしますが、

(しろざめにくらべるとはんぶんねにもなりません。じゅうまいもたばになっているなかには、)

白鮫にくらべると半分値にもなりません。十枚も束になっている中には、

(きっとこのちじみのあるやつがさん、しまいぐらいまじっていますから、こっちも)

きっとこの血暈のある奴が三、四枚ぐらい混(まじ)っていますから、こっちも

(そのつもりでへいきんのねでひきとるんですが、どうしてもしあげてみなければ、)

そのつもりで平均の値で引き取るんですが、どうしても仕上げて見なければ、

(そのちじみがみつからないんだからこまります」)

その血暈が見付からないんだから困ります」

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