半七捕物帳 湯屋の二階9

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岡本綺堂 半七捕物帳シリーズ 第四話
タイトルの「湯屋」は「ゆうや」と読みます。

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問題文

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(「いや、ばかなおはなしですね」と、はんしちろうじんはわらいながらわたしにはなした。)

四 「いや、馬鹿なお話ですね」と、半七老人は笑いながらわたしに話した。

(「いまかんがえるとじつにばかばかしいはなしで、それからそのぶしのあがってくるのを)

「今考えると実にばかばかしい話で、それからその武士のあがって来るのを

(まっていて、くまぞうがそれとなくいろいろのことをきくと、どうもそのへんじが)

待っていて、熊蔵がそれとなくいろいろのことを訊くと、どうもその返事が

(あいまいで、なにかものをかくしているらしくみえるんです。わたくしもわきから)

曖昧で、なにか物を隠しているらしく見えるんです。わたくしも傍(わき)から

(くちをだしてだんだんさぐってみたんですが、どうもふにおちないことが)

口を出してだんだん探ってみたんですが、どうも腑に落ちないことが

(おおいんです。こっちももうじれてきたので、とうとうじってをだしましたよ。)

多いんです。こっちももう焦れて来たので、とうとう十手を出しましたよ。

(いや、おおしくじりで・・・・・・。はははは。なんでもあせっちゃいけませんね。)

いや、大しくじりで……。はははは。なんでも焦っちゃいけませんね。

(そうすると、そのぶしもせっぱつまったとみえて、ようようほんねを)

そうすると、その武士も切羽詰まったとみえて、ようよう本音を

(はいたんですが、やっぱりおきちのいったとおり、そのふたりのぶしはかたきうちでしたよ」)

吐いたんですが、やっぱりお吉の云った通り、その二人の武士は仇討でしたよ」

(「かたきうち・・・・・・」と、わたしはおもわずききかえすと、はんしちろうじんは)

「かたき討……」と、わたしは思わず訊き返すと、半七老人は

(にやにやわらっていた。)

にやにや笑っていた。

(「まったくかたきうちなんですよ。それがまたおかしい。まあおききなさい」)

「まったく仇討なんですよ。それが又おかしい。まあお聴きなさい」

(はんしちにじってをつきつけられたぶしはかじいげんごろうといって、さいごくの)

半七に十手を突き付けられた武士は梶井源五郎といって、西国の

(ぼうはんしであった。きょねんのはるからえどへきんばんにでてきて、あざぶのやしきないに)

某藩士であった。去年の春から江戸へ勤番に出て来て、麻布の屋敷内に

(すんでいたが、どうらくもののかれはほうばいのたかしまやしちととくべつになかよくして、)

住んでいたが、道楽者のかれは朋輩の高島弥七と特別に仲好くして、

(よしわらやしながわをあそびまわっていた。もうだんだんにえどになれてきたかれらは、)

吉原や品川を遊びまわっていた。もうだんだんに江戸に馴れて来た彼等は、

(きょねんのじゅういちがつのはじめにおなじかちゅうのかんざきごうすけともばらいちろうえもんのふたりを)

去年の十一月のはじめに同じ家中の神崎郷助と茂原市郎右衛門のふたりを

(さそいだして、しながわのあるゆうじょやへあそびにいった。そのせきじょうでかんざきともばらとが)

誘い出して、品川のある遊女屋へ遊びに行った。その席上で神崎と茂原とが

(さけのうえからこうろんをはじめたのを、かじいとたかしまとがともかくもちゅうさいして)

酒の上から口論をはじめたのを、梶井と高島とがともかくも仲裁して

(そのばはぶじにおさまったが、かんざきはやはりおもしろくないとみえて、)

その場は無事に納まったが、神崎はやはり面白くないと見えて、

など

(すぐにかえるといいだした。もうやしきのもんげんもすぎているのであるから、)

すぐに帰ると云い出した。もう屋敷の門限も過ぎているのであるから、

(いっそこんやはとまってかえれと、ちゅうさいしゃのふたりがしきりにひきとめたが、)

いっそ今夜は泊って帰れと、仲裁者の二人がしきりに引留めたが、

(どうしてもかえるとごうじょうをはった。)

どうしても帰ると強情を張った。

(かれひとりをさきにかえすわけにもいかないので、けっきょくよにんがつれだって)

彼ひとりを先に帰すわけにも行かないので、結局四人が連れ立って

(でることになった。たかなわのかいがんにさしかかったのはよるのいつつ)

出ることになった。高輪(たかなわ)の海岸にさしかかったのは夜の五ツ

((ごごはちじ)をすぎたころで、くらいうみにぎょせんのかがりびがふたつみっつ)

(午後八時)を過ぎた頃で、暗い海に漁船の篝火(かがりび)が二つ三つ

(さびしくうかんでいた。よいをさますきたかぜがしもをふいて、しゅくへいそぐ)

寂しく浮かんでいた。酔いを醒ます北風が霜を吹いて、宿(しゅく)へ急ぐ

(にうまのすずのねがよるのさむさをゆりだすようにもきこえた。さっきからだまって)

荷馬の鈴の音が夜の寒さを揺り出すようにも聞えた。さっきから黙って

(あるいていたかんざきは、このときひとあしさがってだしぬけにかたなをぬいたらしい。)

あるいていた神崎は、このとき一と足さがってだしぬけに刀を抜いたらしい。

(なにかくらいなかにひかったかとおもうと、もばらはあっといってたおれた。)

なにか暗いなかに光ったかと思うと、茂原はあっと云って倒れた。

(かんざきはすぐにかたなをひいて、いっさんばしりにしばのほうがくへばたばたとかけて)

神崎はすぐに刀を引いて、一散走りに芝の方角へばたばたと駈けて

(いってしまった。かじいとたかしまはあっけにとられて、しばらくつったっていた。)

行ってしまった。梶井と高島は呆気に取られて、しばらく突っ立っていた。

(もばらはみぎのかたからうしろげさにきりさげられて、ただいっとうでいきがたえていた。)

茂原は右の肩からうしろ袈裟に斬り下げられて、ただ一刀で息が絶えていた。

(もうどうすることもできないので、ふたりはもばらのしがいをつじかごにのせ、)

もうどうすることも出来ないので、二人は茂原の死骸を辻駕籠にのせ、

(よふけにあざぶのやしきまでそっとはこんでいった。あくばしょですいきょうのこうろん、)

夜ふけに麻布の屋敷までそっと運んで行った。悪場所で酔狂の口論、

(それがげんいんでほうばいをあやめるなどはじゅうじゅうのふらちとあって、)

それが原因で朋輩を殺(あや)めるなどは重々の不埒とあって、

(やしきでもすぐにかんざきのゆくえをたんさくさせたが、いつかとおかをすぎても)

屋敷でもすぐに神崎のゆくえを探索させたが、五日十日を過ぎても

(なんのてがかりもなかった。もばらにはいちじろうというおとうとがあって、)

何の手がかりもなかった。茂原には市次郎という弟があって、

(それがすぐにあにのかたきうちをやしきへねがいでた。)

それがすぐに兄の仇討を屋敷へ願い出た。

(かたきうちはきょかされた。しかしおもてむきにひまをやることはならぬ、)

かたき討は許可された。しかし表向きに暇をやることはならぬ、

(あにのいこつをきょうりへおくるとちゅうでぶつじにさんけいし、またはしんせきのもとへたちよることは)

兄の遺骨を郷里へ送る途中で仏寺に参詣し、または親戚のもとへ立ち寄ることは

(くるしからずというのであった。つまりぶつじにさんけいとかしんせきをほうもんとかいう)

苦しからずというのであった。つまり仏寺に参詣とか親戚を訪問とかいう

(めいぎで、かたきのゆくえをたずねあるくことをゆるされたのである。)

名義で、仇のゆくえを尋ねあるくことを許されたのである。

(おとうとはありがたきぎとおれいをもうしあげて、あにのいこつをたずさえてえどをしゅっぱつした。)

弟はありがたき儀とお礼を申し上げて、兄の遺骨をたずさえて江戸を出発した。

(かんけいしゃのかじいとたかしまとは、ゆうりにたちいってみもちよろしからずというので)

関係者の梶井と高島とは、遊里に立入って身持よろしからずというので

(おしかりをうけた。ことにとうやにんじょうのみぎり、あいてのかんざきをとりにがしたるは)

お叱りを受けた。殊に当夜刃傷のみぎり、相手の神崎を取り逃がしたるは

(ふよういのいたしかたとあって、きびしいおとがめをうけた。しかもそのかたいとして)

不用意の致し方とあって、厳しいお咎めを受けた。しかもその過怠として

(かたきうちのすけだちをもうしつけられた。ただしたこくへふみだすことはならぬ。)

仇討の助太刀を申し付けられた。但し他国へ踏み出すことはならぬ。

(えどよりしほうをまいにちたずねあるいて、ひゃくにちのあいだにかたきのありかを)

江戸四里四方を毎日たずねあるいて、百日のあいだに仇の在処(ありか)を

(さがしだせというのであった。)

さがし出せというのであった。

(かたきのかんざきがはたしてえどにかくれているかどうかはぎもんであったが、)

仇の神崎が果たして江戸に隠れているかどうかは疑問であったが、

(このげんめいをうけたかれらはまいにちあけむつからやしきをでてゆうむっつまで)

この厳命を受けた彼等は毎日暁(あけ)六ツから屋敷を出て夕六ツまで

(えどじゅうをさがしあるかなければならなかった。はじめのとおかほどしょうじきにこんよく)

江戸中を探し歩かなければならなかった。はじめの十日ほど正直に根好く

(えどじゅうをあるきまわっていたが、このなんぎなやくめにはかれらもだんだんに)

江戸中を歩きまわっていたが、この難儀な役目には彼等もだんだんに

(つかれてきた。しまいにはふたりがそうだんして、まいあさいつものじこくに)

疲れて来た。しまいには二人が相談して、毎朝いつもの時刻に

(やしきのもんをでながら、そこらのみずぢゃややこうしゃくじょやゆやのにかいにはいりこんで、)

屋敷の門を出ながら、そこらの水茶屋や講釈所や湯屋の二階にはいり込んで、

(いちにちをそこにあそびくらすというおうちゃくなことをかんがえだすようになった。)

一日をそこに遊び暮すという横着なことを考え出すようになった。

(きのうはあさくさのさかりばへいったとか、きょうはほんごうのやしきまちをまわったとか、)

きのうは浅草の盛り場へ行ったとか、きょうは本郷の屋敷町をまわったとか、

(やしきのほうへはいいかげんのほうこくをして、かれらはどこかでまいにちねころんであそんでいた。)

屋敷の方へは好い加減の報告をして、彼等はどこかで毎日寝転んで遊んでいた。

(かたきのありかはもちろんしれようはずはなかった。)

仇のありかは勿論知れよう筈はなかった。

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