三国志蜀書 - 趙雲伝
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問題文
(ちょううんあざなをしりゅう、じょうざんしんていのひとなり。)
趙雲字を子龍、常山真定の人也。
(もとはこうそんさんにぞくす。さん、でんかいのためにせんしゅをつかわしえんしょうをふせぐ。)
本は公孫瓚に属す。瓚、田楷の爲に先主を遣わし袁紹を拒ぐ。
(うん、すぐについじゅうしせんしゅのしゅきとなる。)
雲、遂に随従し先主の主騎と為る。
(すなわちせんしゅ、とうようちょうはんにてそうこうのためにおわれたところ、さいしをすてみなみへはしる。)
及ち先主、当陽長阪に於て曹公の為に追われた所、妻子を棄て南へ走る。
(うん、みずからわかごをだく。すなわちこうしゅなり。かんふじんをほごす。すなわちこうしゅのははなり。)
雲、身ら弱子を抱く。即ち後主也。甘夫人を保護す。即ち後主の母也。
(みななんをのがれうる。うつしがもんしょうぐんとなる。せんしゅにゅうしょく、うんけいしゅうにとどむ。)
皆難を免れ得る。遷し牙門将軍と為る。先主入蜀、雲荊州に留む。
(せんしゅ、かぼうからもどりみずからりゅうしょうをせめしょかつりょうをめす。)
先主、葭萌から還り自ら劉璋を攻め諸葛亮を召す。
(りょう、うんとちょうひらをひきいてともにちょうこうをさかのぼってせいじょうしぐんけんをへいていす。)
亮、雲與張飛等を率いて倶に長江を泝て西上し郡県を平定す。
(こうしゅうにいたる。ぶんけんしうんはがいすいよりこうようにのぼり、りょうとせいとであう。)
江州に至る。分遣し雲は外水從り江陽に上り、亮與成都于会う。
(せいとすでにさだむ。うんをもってよくぐんしょうぐんとなす。)
成都既に定む。雲を以って翊軍将軍と為す。
(けんこうがんねん、ちゅうごぐん・せいなんしょうぐんとなり、)
建興元年、中護軍・征南将軍と為り、
(えいしょうていこうにほおぜられ、ちんとうしょうぐんにうつす。)
永昌亭侯に封ぜられ、鎮東将軍に遷す。
(ごねん、しょかつりょうにしたがいかんちゅうにとどむ。)
五年、諸葛亮に随い漢中に駐む。
(みょうねんりょうしゅつぐん。やこくどうによってこえをあげる。そうしん、たいしゅうをつかわしこれにあたる。)
明年亮出軍。斜谷道に由て声を揚げる。曹真、大衆を遣し之に當たる。
(りょう、うんととうしにれいしふせぎにゆく。しこうしてみずからきざんをせむる。)
亮、雲與鄧芝に令し拒ぎに往く。而して身ら祁山を攻むる。
(うんしへいよわくてきつよく、きこくにてりをうしなう。)
雲芝兵弱く敵彊く、箕谷於て利を失う。
(しかれどもしゅうをおさめこしゅしたいはいにいたらず。ぐんしりぞきおとしてちんぐんしょうぐんとなる。)
然れども衆を斂め固守し大敗に不至ず。軍退き貶して鎭軍將軍と爲る。
(ひちねんそつ、じゅんぺいこうとついしされる。はじめ、せんしゅのときもってほうせいにおくりなされる。)
七年卒、順平侯と追諡される。初、先主の時惟て法正に諡見れる。
(こうしゅのとき、しょかつりょうのこうせきよをおおい、しょうえん・ひいはくにのおもみをにないまたおくりなされる)
後主の時、諸葛亮の功績世を蓋い、蔣琬・費禕は國之重みを荷い亦諡見れる
(ちんしはちょうたいされとくにしゅしゅうにくわう。かこうははえんらいきこくしゆえにまたおくりなをうる。)
陳祗は寵待され特に殊奬に加う。夏侯霸は遠来歸國し故に復た諡を得る。
(ここにおいてかんう・ちょうひ・ばちょう・ほうとう・こうちゅうおよびちょううんかのついし)
是に於て関羽・張飛・馬超・龐統・黄忠及趙雲乃の追諡
(ときのろんおもえらくさかえんと。)
時の論以為らく栄んと。
(うんのこ、とうがつぐ。かん、こほんちゅうろう・とくこうりょうぐんにいたる。)
雲の子、統が嗣ぐ。官、虎賁中郎・督行領軍に至る。
(じしこう、がもんしょう。きょういにしたがいとうちゅうにてじんにのぞみせんし。)
次子広、牙門将。姜維に従い沓中にて陣に臨み戦死。