半七捕物帳 お化け師匠1

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岡本綺堂 半七捕物帳シリーズ 第五話

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問題文

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(にがついらい、わたしはじぶんのしごとがいそがしいので、はんしちろうじんのうちへ)

一 二月以来、わたしは自分の仕事が忙しいので、半七老人の家(うち)へ

(こはんとしもぶさたをしてしまった。なんだかきになるので、ごがつのすえに)

小半年も無沙汰をしてしまった。なんだか気になるので、五月の末に

(ぶさたのわびながらてがみをだすと、すぐそのへんじがきて、らいげつはひかわさまの)

無沙汰の詫びながら手紙を出すと、すぐその返事が来て、来月は氷川様の

(おまつりでこわめしでもたくからあそびにきてくれとのことであった。)

お祭りで強飯(こわめし)でも炊くから遊びに来てくれとのことであった。

(わたしもきゅうにろうじんにあいたくなって、そのおまつりのひにあかさかにでていくと、)

わたしも急に老人に逢いたくなって、そのお祭りの日に赤坂に出て行くと、

(とちゅうからきりのようなあめがふってきた。)

途中から霧のような雨が降って来た。

(「あいにくすこしふってきました」)

「あいにく少し降って来ました」

(「つゆまえですからね」と、はんしちろうじんはうっとうしそうにそらをみあげた。)

「梅雨前ですからね」と、半七老人は鬱陶しそうに空を見あげた。

(「ことしはほんまつりだというのに、こまったもんです。)

「今年は本祭りだというのに、困ったもんです。

(だがまあ、たいしたことはありますまいよ」)

だがまあ、大したことはありますまいよ」

(やくそくのとおりにこわめしやおにしめのごちそうがでた。さけもでた。)

約束の通りに強飯やお煮染めの御馳走が出た。酒も出た。

(わたしはえんりょなしにのんでくって、おどりのやたいのうわさなどを)

わたしは遠慮なしに飲んで食って、踊りの家台(やたい)の噂などを

(していたが、あめはだんだんつよくなるばかりで、うちのばあやが)

していたが、雨はだんだん強くなるばかりで、家の老婢(ばあや)が

(あわててのきぢょうちんやかざりばなをひっこめるようになってきた。)

あわてて軒提灯や飾り花を引っ込めるようになって来た。

(ちょうないのやたいばやしのおともしずんできこえた。)

町内の家台囃子の音も沈んできこえた。

(「こりゃあいけない、とうとうほんぶりになってきた。これじゃあおどりやたいを)

「こりゃあいけない、とうとう本降りになって来た。これじゃあ踊り家台を

(みにもでられまい。まあこんやはゆっくりおはなしなさい。なにかまたむかしばなしでも)

見にもでられまい。まあ今夜はゆっくりお話しなさい。何かまた昔話でも

(しようじゃあありませんか」と、ろうじんはくいあらしのさらこばちを)

しようじゃあありませんか」と、老人は食い荒らしの皿小鉢を

(ばあやにかたづけさせながらいった。)

老婢に片付けさせながら云った。

(おどりやたいのけんぶつよりも、こわめしのごちそうよりも、わたしにとってはそれが)

踊り家台の見物よりも、強飯の御馳走よりも、わたしに取ってはそれが

など

(なによりもうれしいので、すぐにそのおについてまたいつものはなしをしてくれと)

何よりも嬉しいので、すぐにその尾について又いつもの話をしてくれと

(あまえるようにせがむと、またてがらばなしですかと、ろうじんは)

甘えるように強請(せが)むと、また手柄話ですかと、老人は

(にやにやわらっていたが、とうとうわたしにくどきおとされて、)

にやにや笑っていたが、とうとう私に口説き落されて、

(やがてこんなことをいいだした。)

やがてこんなことを云い出した。

(「あなたはへびやまむしはきらいですか。いや、だれもすきなものは)

「あなたは蛇や蝮(まむし)は嫌いですか。いや、誰も好きな者は

(ありますまいが、へびときくとすぐにかおのいろをかえるようなひともありますからね。)

ありますまいが、蛇と聞くとすぐに顔の色を変えるような人もありますからね。

(それほどきらいでなけりゃあ、こんやはへびのはなしをしましょうよ。)

それほど嫌いでなけりゃあ、今夜は蛇の話をしましょうよ。

(あれはたしかあんせいのおおじしんのまえのとしでした」)

あれはたしか安政の大地震の前の年でした」

(しちがつとおかはあさくさかんのんのしまんろくせんにちで、はんしちはあさのうすぐらいうちに)

…… 七月十日は浅草観音の四万六千日で、半七は朝のうす暗いうちに

(さんけいにいった。ごじゅうのとうはしめっぽいあかつきのもやにつつまれて、)

参詣に行った。五重の塔は湿っぽい暁の靄(もや)につつまれて、

(はとのむれもまだまめをひろいにはおりてこなかった。)

鳩の群れもまだ豆を拾いには降りて来なかった。

(あさまいりのひともすくなかった。はんしちはゆっくりおがんでかえった。)

朝まいりの人も少なかった。半七はゆっくり拝んで帰った。

(そのかえりのみちにしたやのおなりみちへさしかかると、)

その帰りの途(みち)に下谷の御成道(おなりみち)へさしかかると、

(かたなやのよこちょうにしち、はちにんのおとこがしさいらしくたっていた。)

刀屋の横町に七、八人の男が仔細らしく立っていた。

(はんしちもしょうばいがらで、ふとたちどまってそのよこちょうをのぞくと、)

半七も商売柄で、ふと立ちどまってその横町をのぞくと、

(べんけいじまのゆかたをきたこづくりのおとこがそのむれをはなれて、ばたばたかけてきた。)

弁慶縞の浴衣を着た小作りの男がその群れをはなれて、ばたばた駈けて来た。

(「おやぶん、どこへ」 「かんのんさまへあさまいりにいった」)

「親分、どこへ」 「観音様へ朝参りに行った」

(「ちょうどいいところでした。いまここにへんなことがもちあがってね」)

「ちょうど好いところでした。今ここに変なことが持ち上がってね」

(おとこはかおをしかめてこごえでいった。かれはしたっぴきの)

男は顔をしかめて小声で云った。かれは下っ引(したっぴき)の

(げんじというおけしょくであった。)

源次という桶職であった。

(「このしたっぴきというのは、いまでいうかんじゃのようなものです」)

「この下っ引というのは、今でいう諜者(かんじゃ)のようなものです」

(とはんしちろうじんはここでちゅうをいれてくれた。「つまりてさきのしたをはたらくにんげんで、)

と半七老人はここで註をいれてくれた。「つまり手先の下をはたらく人間で、

(おもてむきはさかなやとかおけしょくとか、なにかしらしょうばいをもっていて、そのしょうばいのあいまに)

表向きは魚やとか桶職とか、何かしら商売をもっていて、その商売のあいまに

(なにかたねをあげてくるんです。これはかげのにんげんですからけっしてとりものなどには)

何か種をあげて来るんです。これは蔭の人間ですから決して捕物などには

(でません。どこまでもかたぎのつもりですましているんです。)

出ません。どこまでも堅気(かたぎ)のつもりで澄ましているんです。

(おかっぴきのしたにはてさきがいる。てさきのしたにはしたっぴきがいる。)

岡っ引の下には手先がいる。手先の下には下っ引がいる。

(それがおたがいにいとをひいて、うまくやっていくことになっているんです。)

それがおたがいに糸を引いて、巧くやって行くことになっているんです。

(それでなけりゃあざいにんはなかなかあがりませんよ」)

それでなけりゃあ罪人はなかなかあがりませんよ」

(げんじはこのきんじょにながくすんでいて、したっぴきのなかまでもめはしのきくほうであった。)

源次はこの近所に長く住んでいて、下っ引の仲間でも眼はしの利く方であった。

(それがへんなことをいうので、はんしちもすこしまじめになった。)

それが変な事をいうので、半七も少しまじめになった。

(「なんだ。なにがあった」 「ひとがしんだんです。おばけししょうがしんだんです」)

「何だ。なにがあった」 「人が死んだんです。お化け師匠が死んだんです」

(おばけししょうーーこういうきかいなあだなをとったほんにんは、)

お化け師匠ーーこういう奇怪な綽名(あだな)を取った本人は、

(みずきかめじゅとよばれるおどりのししょうであった。)

水木歌女寿(かめじゅ)と呼ばれる踊りの師匠であった。

(かめじゅはじぶんのめいをおさないときからむすめぶんにもらって、これにげいをみっちりしこんで、)

歌女寿は自分の姪を幼いときから娘分に貰って、これに芸をみっちり仕込んで、

(かめよとなのらせてじぶんのあとをつがせるつもりであったが、)

歌女代(かめよ)と名乗らせて自分のあとを嗣(つ)がせるつもりであったが、

(そのかめよはきょねんのあきにじゅうはっさいでしんだ。おばけししょうのあだなは)

その歌女代は去年の秋に十八歳で死んだ。お化け師匠の綽名は

(それからうみだされたのであった。)

それから産み出されたのであった。

(かめじゅはことししじゅうはちだというが、としにくらべるとみずみずしいあかぬけのした)

歌女寿は今年四十八だというが、年に比べると水々しい垢ぬけのした

(おんなであった。しょうばいがらでわかいときにはずいぶんういたうわさもきこえたが、このじゅうねんらいは)

女であった。商売柄で若い時には随分浮いた噂もきこえたが、この十年来は

(よくいっぽうにこりかたまっているとかいうので、きんじょのひょうばんは)

慾(よく)一方に凝り固まっているとかいうので、近所の評判は

(あまりよくなかった。めいをむすめぶんにもらったのも、ゆくゆくじぶんのくいものに)

あまり好くなかった。姪を娘分に貰ったのも、ゆくゆく自分の食い物に

(しようというしたごころからでたのである。はたからみると)

しようというしたごころから出たのである。傍(はた)から見ると

(むごたらしいほどにてきびしくしこんだ。そういうふうに、ちいさいときから)

むごたらしいほどに手厳しく仕込んだ。そういう風に、ちいさいときから

(あまりじゃけんにせめられたせいか、かめよはどうもびょうしんであったが、)

余り邪慳(じゃけん)に責められたせいか、歌女代はどうも病身であったが、

(しこみがきびしいだけにげいはよくできた。きりょうもよかった。)

仕込みが厳しいだけに芸はよく出来た。容貌(きりょう)も好かった。

(じゅうろくのとしからははのだいげいことしてでしたちをおしえていたが、きりょうのいいのが)

十六の年から母の代稽古として弟子たちを教えていたが、容貌の好いのが

(ゆいいちのおとりになって、おとこでしもだいぶいりこむようになった。)

唯一(ゆいいち)の囮になって、男弟子もだいぶ入り込むようになった。

(したがってかめじゅのふところつごうもだんだんよくなってきたが、)

したがって歌女寿のふところ都合もだんだん好くなって来たが、

(よくのふかいかのじょはおさだまりのつきなみやすみせんやたたみせんぐらいで)

慾の深い彼女はお定まりの月並や炭銭(すみせん)や畳銭ぐらいで

(なかなかまんぞくしていられるおんなではなかった。)

なかなか満足していられる女ではなかった。

(かのじょはこのわかいうつくしいえさでおおきなさかなをつりよせようとたくらんでいた。)

彼女はこの若い美しい餌で巨大(おおき)な魚を釣り寄せようと巧らんでいた。

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