半七捕物帳 お化け師匠8
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問題文
(はんしちがそうぞうしたとおり、わかいししょうとわかいきょうじやとのあいだには、)
半七が想像した通り、若い師匠と若い経師職(きょうじや)とのあいだには、
(こうしたかなしいこいものがたりがひそんでいたのであった。かれのざんげにいつわりのないことは、)
こうした悲しい恋物語が潜んでいたのであった。彼の懺悔に偽りのないことは、
(わかいおとこのめからいくじなくながれるなみだのいろをみてもうなずかれた。)
若い男の眼から意気地なく流れる涙の色を見てもうなずかれた。
(「わかいししょうがしんでから、おまえさんはもうししょうのうちへはちっともではいりを)
「若い師匠が死んでから、おまえさんはもう師匠の家へはちっとも出這入りを
(しなかったかね」)
しなかったかね」
(「へえ」と、やさぶろうはくちごもるようにいった。)
「へえ」と、弥三郎は口ごもるように云った。
(「かくしちゃあいけねえ。だいじなばあいだ。え、ほんとうにではいりを)
「隠しちゃあいけねえ。大事な場合だ。え、ほんとうに出這入りを
(しなかったのか」)
しなかったのか」
(「それがじつにおかしいんです」)
「それが実におかしいんです」
(「どうおかしいんだ。まっすぐにいいねえ」)
「どうおかしいんだ。まっすぐに云いねえ」
(はんしちににらまれて、やさぶろうはなにかしきりにもじもじしていたが、)
半七に睨まれて、弥三郎はなにか頻りにもじもじしていたが、
(とうとうおもいきってこんなことをはくじょうした。わかいししょうがしんでから)
とうとう思い切ってこんなことを白状した。若い師匠が死んでから
(ひとつきばかりたつと、かめじゅがきょうじやのみせへぶらりときて、)
ひと月ばかり経つと、歌女寿(かめじゅ)が経師職の店へぶらりと来て、
(みせにしごとをしているやさぶろうをおもてへよびだした。むすめのさんじゅうごにちのくばりものや)
店に仕事をしている弥三郎を表へ呼び出した。娘の三十五日の配り物や
(なにかについてすこしそうだんしたいことがあるから、こんやちょいとうちへきてくれと)
何かについて少し相談したいことがあるから、今夜ちょいと家へ来てくれと
(いうのであった。そのばんでてゆくと、くばりもののはなしはつけたりで、)
云うのであった。その晩出てゆくと、配り物の話は付けたりで、
(ししょうはやさぶろうにむかってじぶんのうちのむこになってくれないかととつぜんいいだした。)
師匠は弥三郎にむかって自分の家の婿になってくれないかと突然云い出した。
(たよりにしていたむすめにわかれてなにぶんさびしくてならないから、おまえさんをみこんで)
頼りにしていた娘に別れて何分寂しくてならないから、お前さんを見込んで
(たのむ、どうぞようしになってくれといった。)
頼む、どうぞ養子になってくれと云った。
(おもいもつかないはなしでもあり、かつはじぶんはそうりょうのあととりで)
思いも付かない話でもあり、且(かつ)は自分は惣領(そうりょう)の跡取りで
(あるので、やさぶろうはむろんにことわってかえった。しかしししょうのほうで)
あるので、弥三郎は無論にことわって帰った。しかし師匠の方で
(なかなかあきらめないらしく、そののちもしゅうねんぶかくつきまとってきて、)
なかなか諦めないらしく、その後も執念ぶかく付きまとって来て、
(なにかとなをつけてむりにかれをよびだそうとした。いちどはとちゅうでつかまって、)
何かと名をつけて無理に彼を呼び出そうとした。一度は途中でつかまって、
(いやおうなしにゆしまあたりのあるちゃやにひっぱっていかれた。げこのやさぶろうは)
否応なしに湯島辺のある茶屋に引っ張って行かれた。下戸(げこ)の弥三郎は
(さけをしいられた。かめじゅもだんだんによいがまわってきて、むこになれというのか)
酒を強いられた。歌女寿もだんだんに酔いがまわって来て、婿になれというのか
(ていしゅになれというのか、わけのわからないようなことをなまめかしいそぶりで)
亭主になれというのか、訳の判らないようなことを媚(なまめ)かしい素振りで
(いいだしたので、きのちいさいやさぶろうはふるえるほどにおどろいて、)
云い出したので、気の小さい弥三郎は顫えるほどに驚いて、
(いっしょうけんめいにふりきってにげてかえった。)
一生懸命に振り切って逃げて帰った。
(「そのちゃやへひっぱられていったのはいつごろだね」)
「その茶屋へ引っ張られて行ったのは何日(いつ)頃だね」
(と、はんしちはわらいながらきいた。)
と、半七は笑いながら訊いた。
(「ことしのしょうがつです。それからさんがつにもあさくさででっくわして、)
「ことしの正月です。それから三月にも浅草で出っくわして、
(むりにどっかへひっぱられようとしたのを、それもようようふりきって)
無理にどっかへ引っ張られようとしたのを、それもようよう振り切って
(にげました。それからごがつのすえでしたろう。ひがくれてからきんじょのゆへいくと、)
逃げました。それから五月の末でしたろう。日が暮れてから近所の湯へ行くと、
(そのかえりにわたくしがおとこゆからでると、ししょうもちょうどおんなゆからでる、)
その帰りにわたくしが男湯から出ると、師匠もちょうど女湯から出る、
(そこでばったりまたであったんです。すると、そうだんがあるから)
そこでばったり又出遇(であ)ったんです。すると、相談があるから
(ぜひよってくれというんで、こんどはにげることもできないで、)
是非寄ってくれというんで、今度は逃げることもできないで、
(とうとうししょうのうちまでいっしょにいきました。こうしをがらりとあけてはいると、)
とうとう師匠の家まで一緒に行きました。格子をがらりと明けてはいると、
(ながひばちのまえにひとりのおとこがすわっているんです。ししょうよりはななやっつも)
長火鉢の前に一人の男が坐っているんです。師匠よりは七八歳(ななやっつ)も
(わかい、しじゅうぐらいのいろのあさぐろいおとこでした。そのおとこのかおをみると)
若い、四十ぐらいの色のあさ黒い男でした。その男の顔をみると
(ししょうはひどくびっくりしたように、しばらくだまってつったっていました。)
師匠はひどくびっくりしたように、しばらく黙って突っ立っていました。
(なにしろ、きゃくのきているのはわたしにとってもっけのさいわいで、)
なにしろ、客の来ているのは私にとって勿怪(もっけ)の幸いで、
(それをしおにそうそうにかえってきました」)
それをしおに早々に帰って来ました」
(「ふうむ。そんなことがあったのか」と、はんしちははらのなかでにっこりわらった。)
「ふうむ。そんなことがあったのか」と、半七は腹のなかでにっこり笑った。
(「いったいそのおとこはなにものだか、おまえさんはちっともしらねえか」)
「一体その男は何者だか、おまえさんはちっとも知らねえか」
(「しりません。じょちゅうのおむらのはなしによると、なんでもししょうとけんかをして)
「知りません。女中のお村の話によると、なんでも師匠と喧嘩をして
(かえったそうです」)
帰ったそうです」
(そのいじょうのことはやさぶろうもまったくしらないらしいので、)
その以上のことは弥三郎もまったく知らないらしいので、
(はんしちもここできりあげてかれとわかれた。)
半七もここで切り上げて彼と別れた。
(「きょうのことは、だれにもとうぶんさたなしにしておいてくんねえよ」)
「きょうのことは、誰にも当分沙汰なしにして置いてくんねえよ」