半七捕物帳 お化け師匠10

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岡本綺堂 半七捕物帳シリーズ 第五話

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問題文

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(「やい、このどろぼう。よくもおれがだいじのしょうばいどうぐをぬすみやがったな。)

「やい、この泥坊。よくもおれが大事の商売道具を盗みやがったな。

(ちりゅうさまのばちがあたるぞ」)

池鯉鮒(ちりゅう)さまの罰があたるぞ」

(どろぼうとひとなかでののしられたおとこも、やはりしじゅうぜんごのおとこで、こんじのやぼな)

泥坊と人なかで罵られた男も、やはり四十前後の男で、紺地の野暮な

(ひとえものをきていた。かれはほかののりあいのてまえ、おとなしくだまって)

単物(ひとえもの)を着ていた。彼はほかの乗合の手前、おとなしく黙って

(いられなかった。)

いられなかった。

(「なに、どろぼう・・・・・・。とんでもねえことをいうな。おれがなにをぬすんだ」)

「なに、泥坊……。飛んでもねえことを云うな。おれが何を盗んだ」

(「しらばっくれるな。おれはちゃんとてめえのつらをおぼえているんだ。)

「しらばっくれるな。俺はちゃんとてめえの面(つら)を覚えているんだ。

(いけずうずうしいやろうだ。どうするかみやあがれ」)

いけずうずうしい野郎だ。どうするか見やあがれ」

(おふだうりはあいてのむなぐらをつかんだままちからまかせにいくたびか)

御符(おふだ)売りは相手の胸倉を摑んだまま力まかせに幾たびか

(こづきまわした。おとこもそのてをつかんでねじはなそうとした。)

小突きまわした。男もその手をつかんで捻(ね)じ放そうとした。

(ちいさいふねはゆれかたむいておんなやこどもはなきだした。)

小さい船はゆれ傾いて女や子供は泣き出した。

(「ふねのなかでけんかをしちゃあいけねえ。けんかならきしへついてからにして)

「船の中で喧嘩をしちゃあいけねえ。喧嘩なら岸へ着いてからにして

(おくんなせえ」)

おくんなせえ」

(せんどうはしかるようにせいした。ほかののりあいのきゃくもくちぐちになだめたので、)

船頭は叱るように制した。ほかの乗合の客も口々になだめたので、

(おふだうりはよんどころなしにてをゆるめた。しかしまだそのままに)

御符売りはよんどころなしに手をゆるめた。併しまだそのままに

(すませそうもないけわしいかおいろで、あいてをきっとにらみつめていた。)

済ませそうもない嶮(けわ)しい顔色で、相手を屹(きっ)と睨み詰めていた。

(ふねがほんじょのかしへつくと、はんしちはまずひらりととびあがった。)

船が本所の河岸へ着くと、半七はまずひらりと飛び上がった。

(つづいてかのおとこがあがった。そのあとをおうようにおふだうりも)

つづいて彼(か)の男が上がった。そのあとを追うように御符売りも

(あがってきて、ふたたびかれのそでをつかもうとするのを、おとこはあわててふりきって)

上がって来て、再び彼の袖を摑もうとするとするのを、男はあわてて振り切って

(にげだそうとしたが、そのかたうではもうはんしちにおさえられていた。)

逃げ出そうとしたが、その片腕はもう半七に押さえられていた。

など

(「おまえさん、なにをするんです」と、おとこはふりはなそうとみをもがいた。)

「おまえさん、何をするんです」と、男は振り放そうと身をもがいた。

(「しんみょうにしろ、ごようだ」)

「神妙にしろ、御用だ」

(はんしちのこえはするどくひびいた。おとこはふいにたましいをぬきとられたように、)

半七の声は鋭くひびいた。男は不意に魂をぬき取られたように、

(ただぼうだちにつったったままであった。いきおいこんでおおうとしたおふだうりも)

ただ棒立ちに突っ立ったままであった。勢い込んで追おうとした御符売りも

(おもわずたちすくんでしまった。)

思わず立ちすくんでしまった。

(「おまえはこいつになにをとられた。くろいへびだろう」と、)

「おまえはこいつになにを奪(と)られた。黒い蛇だろう」と、

(はんしちはおふだうりにきいた。)

半七は御符売りに訊いた。

(「はい。さようでございます」 「こいつといっしょにばんやまできてくれ」)

「はい。左様でございます」 「こいつと一緒に番屋まで来てくれ」

(ふたりをひっぱって、はんしちはきんじょのじしんばんへいった。あさりのからを)

二人を引っ張って、半七は近所の自身番へ行った。浅蜊(あさり)の殻を

(みせのまえのどろにしいていたじしんばんのおやじは、かかえていたざるを)

店の前の泥に敷いていた自身番の老爺(おやじ)は、かかえていた笊(ざる)を

(ほうりだして、はんしちらをうちへいれた。)

ほうり出して、半七らを内へ入れた。

(「おい、すなおになにもかもいっちまえ」と、はんしちはかのおとこをにらむようにみた。)

「おい、素直に何もかも云っちまえ」と、半七は彼の男を睨むように視た。

(「てめえはおなりみちのよこちょうのおばけししょうのいろか、ていしゅか。)

「てめえは御成道の横町のお化け師匠の情夫(いろ)か、亭主か。

(なにしろひさしぶりでたずねていくと、ししょうはわけえおとこなんぞひっぱってきて、)

なにしろ久し振りでたずねて行くと、師匠は若けえ男なんぞ引っ張って来て、

(てめえにあっても、いいかおをしねえ。あんまりふじつだとかはくじょうだとか)

手前(てめえ)に逢っても、好い顔をしねえ。あんまり不実だとか薄情だとか

(いうんで、てめえはししょうとやきもちげんかをしたろう。それがもとでとうとう)

云うんで、手前は師匠とやきもち喧嘩をしたろう。それがもとでとうとう

(ししょうをころすきになって、ここにいるおふだうりのはこからへびをいっぴきぬすんで、)

師匠を殺す気になって、ここにいる御符売りの箱から蛇を一匹盗んで、

(きょうげんのたねにつかったろう。てめえもなかなかしばいけがある。おばけししょうと)

狂言の種に遣ったろう。手前もなかなか芝居気がある。お化け師匠と

(ふだつきになっているのにつけこんで、ししょうをそっとしめころして、)

札付きになっているのに付け込んで、師匠をそっと絞め殺して、

(そのへびをしがいのくびへまきつけておいて、むすめのしゅうねんだとかたたりだとか、)

その蛇を死骸の頸へまき付けて置いて、娘の執念だとか祟りだとか、

(とんだはやしやしょうぞうのかいだんでうまくせけんをごまかそうとしたんだろう。)

飛んだ林家正蔵の怪談で巧く世間を誤魔化そうとしたんだろう。

(それでよのなかがぶじそくさいでとおっていかれりゃあ、やみよにぶらちょうちんは)

それで世の中が無事息災で通って行かれりゃあ、闇夜にぶら提灯は

(いらねえりくつだが、どうもそうばかりはいかねえ。さあ、おそれいってまっすぐに)

要らねえ理窟だが、どうもそうばかりは行かねえ。さあ、恐れ入って真っ直ぐに

(なんでもはきだしてしまえ。ええ、おちついているな。やにを)

なんでも吐き出してしまえ。ええ、おちついているな。脂(やに)を

(なめさせられたへびのようにおうじょうぎわがわるいと、もうおじひをかけちゃあ)

嘗めさせられた蛇のように往生ぎわが悪いと、もう御慈悲をかけちゃあ

(いられねえ。さあもうしたてろ。えどじゅうのきはだをいちどに)

いられねえ。さあ申し立てろ。江戸じゅうの黄蘗(きはだ)を一度に

(しゃぶらせられたわけではあるめえし、くちのきかれねえはずはねえ。)

しゃぶらせられた訳ではあるめえし、口の利かれねえ筈はねえ。

(めしをくうときのようにおおきいくちをあいていえ。やろう、わかったか。)

飯を食う時のように大きい口をあいて云え。野郎、わかったか。

(わるくかたづけていやあがるとひっぱたくぞ」)

悪く片付けていやあがると引っぱたくぞ」

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