半七捕物帳 奥女中3

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岡本綺堂 半七捕物帳シリーズ 第七話

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問題文

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(おんなたちはいっさつのほんをつくえのうえにひろげて、おちょうにすこしうつむいて)

女たちは一冊の本を机の上にひろげて、お蝶にすこし俯向いて

(よんでいろといった。たましいはもうはんぶんぬけているようなおちょうは、)

読んでいろと云った。魂はもう半分ぬけているようなお蝶は、

(なにをいわれてもさからうきりょくはなかった。かれはにんぎょうしばいのように、)

なにを云われても逆らう気力はなかった。かれは人形芝居のように、

(たにんのいしのままにうごいているよりほかはなかった。)

他人の意志のままに動いているよりほかはなかった。

(かのじょはおとなしくほんにむかっていると、さぞあつかろうといって、)

彼女はおとなしく本に向っていると、さぞ暑かろうと云って、

(ひとりのおんながきぬうちわでそばからやわらかにあおいでくれた。)

一人の女が絹団扇で傍から柔らかにあおいでくれた。

(「くちをきいてはなりませんぞ」と、このあいだのおんながそっとちゅういした。)

「口を利いてはなりませんぞ」と、このあいだの女がそっと注意した。

(おちょうはただきゅうくつそうにすわっていた。)

お蝶はただ窮屈そうに坐っていた。

(やがてえんづたいにかるいあしおとがしずかにきこえて、さん、よにんのひとがここへ)

やがて縁伝いに軽い足音が静かにきこえて、三、四人の人がここへ

(しのんでくるらしかったが、かおをあげてはならないと、このあいだのおんなが)

忍んで来るらしかったが、顔をあげてはならないと、この間の女が

(またちゅういした。そのうちにえんがわのしょうじがおともなしにすこしあいたらしくおもわれた。)

また注意した。そのうちに縁側の障子が音も無しに少しあいたらしく思われた。

(「みてはなりませぬぞ」と、おんなはおどかすようにこごえでまたいった。)

「見てはなりませぬぞ」と、女はおどかすように小声でまた云った。

(どんなおそろしいものがうかがっているのかと、おちょうはいよいよみをすくめて、)

どんな恐ろしいものが窺っているのかと、お蝶はいよいよ身をすくめて、

(ただいっしんにつくえをみつめていると、しょうじはふたたびおともなしにしまって、)

ただ一心に机を見つめていると、障子は再び音も無しにしまって、

(えんがわのあしおとはしだいにとおくなってゆくらしかった。)

縁側の足音はしだいに遠くなってゆくらしかった。

(おちょうはほっとすると、わきのしたからつめたいあせがあめのようにながれおちた。)

お蝶はほっとすると、脇の下から冷たい汗が雨のように流れ落ちた。

(「ごくろうでありました」と、おんなはいたわるようにいった。)

「御苦労でありました」と、女はいたわるように云った。

(「もうとうぶんはうちくつろいでいてもよかろう」)

「もう当分は打ちくつろいでいてもよかろう」

(いままでうすぐらかったあんどんのあかりはかきたてられて、ざしきはにわかにあかるくなった。)

今まで薄暗かった行燈の灯はかき立てられて、座敷は俄かに明るくなった。

(おんなたちがやしょくのぜんをはこんできた。じぶんをすぎてさぞひもじかったで)

女たちが夜食の膳を運んで来た。時分をすぎてさぞ空腹(ひもじ)かったで

など

(あろうとおんなたちがていねいにきゅうじして、おちょうはまきえのうつくしいぜんのまえに)

あろうと女たちが丁寧に給仕して、お蝶は蒔絵の美しい膳のまえに

(すわらせられたが、かれはむねがいっぱいにつまっているようで、)

坐らせられたが、かれは胸が一ぱいに詰まっているようで、

(なんにものどへとおりそうもなかった。かずかずならべられた)

なんにも咽喉(のど)へ通りそうもなかった。かずかず列べられた

(みごとなおりょうりにもかのじょはろくろくはしをつけなかった。ともかくもしょくじがすむと、)

見事な御料理にも彼女は碌々箸をつけなかった。ともかくも食事が済むと、

(またすこしきゅうそくするがよかろうといって、このあいだのおんなはしずかに)

また少し休息するがよかろうと云って、このあいだの女はしずかに

(そのせきをたった。ほかのおんなたちもぜんをひいてどこへかきえてしまった。)

その席を起った。ほかの女たちも膳を引いてどこへか消えてしまった。

(たったひとりそこにとりのこされて、はじめていくらかのひとごこちがついたおちょうは、)

たった一人そこに取り残されて、はじめて幾らかの人心地がついたお蝶は、

(どうかんがえてもゆめのようでなにがなにやらけんとうがつかなかった。)

どう考えても夢のようで何がなにやら見当が付かなかった。

(もしやきつねにばかされているのではないかともおもった。)

もしや狐に化かされているのではないかとも思った。

(いったいここのひとたちは、どういうりょうけんでじぶんをここへつれてきて、)

一体ここの人達は、どういう料簡で自分をここへ連れて来て、

(うつくしいきものをきせて、うまいものをくわせて、こんなりっぱなざしきにすまわせて、)

美しい着物をきせて、旨いものを食わせて、こんな立派な座敷に住まわせて、

(みんながたいせつそうにかしずいてくれるのであろう。)

みんなが大切そうに侍(かしず)いてくれるのであろう。

(しばいやじょうるりにあるように、わたしをだれかのみがわりにして)

芝居や浄瑠璃にあるように、わたしを誰かの身代わりにして

(くびでもうってわたすのではあるまいか、とおちょうはまたうたがった。)

首でも打って渡すのではあるまいか、とお蝶はまた疑った。

(なにしろ、こんなうすきみのわるいところはいっときもはやくにげだしたいと)

なにしろ、こんな薄気味の悪いところは一刻(いっとき)も早く逃げ出したいと

(おもったが、どこからどうぬけだしていいか、かのじょにはとても)

思ったが、どこからどう抜け出していいか、彼女にはとても

(ほうがくがたたなかった。)

方角が立たなかった。

(「にわへでたらどこかにげみちがみつかるかもしれない」)

「庭へ出たらどこか逃げ路が見付かるかも知れない」

(おちょうはいっしょうのゆうきをふるいおこして、いきをころしながらそろりそろりと)

お蝶は一生の勇気をふるい起して、息を殺しながらそろりそろりと

(すべっこいたたみのうえをしのんであるいた。ふるえるてさきがしょうじにかかると、)

滑っこい畳の上を忍んであるいた。ふるえる手先が障子にかかると、

(であいがしらにひとりのおんながはいってきた。おちょうははっとたちすくむと、)

出会いがしらに一人の女がはいって来た。お蝶ははっと立ちすくむと、

(はばかりならばごあんないするといってかのじょがさきにたっていった。)

便所(はばかり)ならば御案内すると云って彼女が先に立って行った。

(えんがわへでるとひろいにわがみえた。つきのないよるで、まっくらなこだちのあいだに)

縁側へ出ると広い庭が見えた。月のない夜で、真っ暗な木立のあいだに

(ほたるのかげがふたつみっつながれていた。とおいところでふくろうのこえもさびしくきこえた。)

蛍のかげが二つ三つ流れていた。遠いところで梟の声もさびしく聞えた。

(もとのざしきへかえってくると、いつのまにかそこにはねどこがのべられて、)

もとの座敷へ帰ってくると、いつの間にか其処には寝床が延べられて、

(かりがねをぬったまっしろなかやがすずしそうにつってあった。)

雁金を繍(ぬ)った真っ白な蚊帳が涼しそうに吊ってあった。

(このあいだのおんながまたどこからかあらわれた。「もうおやすみなさるがよい。)

このあいだの女がまた何処からか現われた。「もうお休みなさるがよい。

(ことわっておきますが、たといよなかにどんなことがあっても、)

ことわって置きますが、たとい夜なかにどんなことがあっても、

(かならずかおをあげてはなりませぬぞ」)

かならず顔をあげてはなりませぬぞ」

(てをとるようにしてかやのなかへおしこまれて、おちょうはゆきのようにしろい)

手を取るようにして蚊帳のなかへ押し込まれて、お蝶は雪のように白い

(よぎにつつまれた。どこかでよっつ(ごごじゅうじ)のかねがひびいた。)

衾(よぎ)につつまれた。どこかで四ツ(午後十時)の鐘がひびいた。

(ゆうれいのようなおんなたちはあしおともせずにふたたびそっときえてしまった。)

幽霊のような女たちは足音もせずに再びそっと消えてしまった。

(そのばんがおそろしかった。)

その晩がおそろしかった。

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