半七捕物帳 奥女中4

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岡本綺堂 半七捕物帳シリーズ 第七話

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問題文

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(しんけいのふるえているおちょうはとてもやすやすとねつかれるはずはなかった。)

二 神経のふるえているお蝶はとても安々と寝つかれる筈はなかった。

(うまれてからいちどもねたことのないよぎやふとんのやわらかみが、)

生まれてから一度も寝たことのない衾(よぎ)や蒲団の柔らか味が、

(かえってかれにいようのはだざわりをあたえて、ふわふわとちゅうにういているような)

却ってかれに異様の肌障りをあたえて、ふわふわと宙に浮いているような

(いっしゅのふあんをかんじさせた。おまけにそのばんはむしあつかったので、)

一種の不安を感じさせた。おまけに其の晩は蒸し暑かったので、

(かれのひたいやくびすじにはねばるようなきみのわるいあせがにじみだした。)

かれの額や頸筋には粘るような気味の悪い汗がにじみ出した。

(おちょうはながいあかいふさのついているまくらのうえに、いくたびか)

お蝶は長い紅い総(ふさ)のついている枕のうえに、幾たびか

(おもいあたまのおきどころをとりかえてみた。)

重い頭の置きどころを取り替えてみた。

(そのあいだになんどきほどたったか。かれはもとより)

そのあいだに何刻(なんどき)ほど経ったか。かれは固(もと)より

(きおくしていなかったが、たださえしずかなかちゅうがしんとして、)

記憶していなかったが、唯さえ静かな家中がしんとして、

(よるももうよほどふけているらしいとおもうころに、つぎのまのたたみを)

夜ももう余ほど更けているらしいと思う頃に、次の間の畳を

(すべるようなあしおとがかすかにひびいた。おちょうはそうみのちがいちどに)

滑るような足音が微かに響いた。お蝶は惣身(そうみ)の血が一度に

(こおるようにかんじられて、あわててよぎをふかくかぶってまくらのうえにうつぶしてしまうと、)

凍るように感じられて、あわてて衾を深くかぶって枕の上に俯伏してしまうと、

(すみぬりのふちをつけたおおきいふすまがさらりとあいたらしくおもわれて、)

墨塗りの縁をつけた大きい襖がさらりとあいたらしく思われて、

(きもののすそをながくひいているようなひびきがまくらにうすくつたわった。)

着物の裾を永く曳いているような響きが枕に薄く伝わった。

(おちょうはいきをのみこんでいた。)

お蝶は息をのみ込んでいた。

(はいってきたものはうすぐらいあんどんのわきにすうとたって、)

はいって来たものは薄暗い行燈の傍(わき)にすうと立って、

(しろいかやごしにおちょうのねがおをのぞいているらしかった。いきちをすいにきたのか、)

白い蚊帳越しにお蝶の寝顔を覗いているらしかった。生き血を吸いに来たのか、

(ほねをしゃぶりにきたのかと、おちょうはもうはんぶんしんだもののようになって、)

骨をしゃぶりに来たのかと、お蝶はもう半分死んだもののようになって、

(いっしんによぎのそでにしがみついていると、やがてそのきぬずれのおとは)

一心に衾の袖にしがみ付いていると、やがてその衣擦れの音は

(つぎのまへきえていったらしかった。こわいゆめからさめたように、)

次の間へ消えて行ったらしかった。怖い夢から醒めたように、

など

(おちょうはねまきのたもとでひたいのあせをふきながらそっとめをあいてうかがうと、)

お蝶は寝衣(ねまき)の袂で額の汗をふきながらそっと眼をあいて窺うと、

(ふすまはもとのようにしまっていて、かやのそとにはかのなきごえさえもきこえなかった。)

襖は元のように閉まっていて、蚊帳のそとには蚊の鳴き声さえも聞えなかった。

(あけがたになってようきがすこしすずしくなると、よいからのきづかれでおちょうは)

明け方になって陽気がすこし涼しくなると、宵からの気疲れでお蝶は

(さすがにうとうととねむった。めがさめるとまくらもとにはゆうべのおんなたちが)

さすがにうとうとと眠った。眼がさめると枕もとにはゆうべの女たちが

(ぎょうぎよくひかえていて、さらにおちょうにきものをきがえさせてくれた。)

行儀よく控えていて、さらにお蝶に着物を着替えさせてくれた。

(まきえのちょうずだらいをもってきてかおをあらわせてくれた。)

蒔絵の手水盥(ちょうずだらい)を持って来て顔を洗わせてくれた。

(あさめしがすむと、このあいだのおんながまたでてきた。)

あさ飯が済むと、このあいだの女がまた出て来た。

(「さぞきゅうくつでもあろうが、もうすこしのしんぼうでござりますぞ。)

「さぞ窮屈でもあろうが、もう少しの辛抱でござりますぞ。

(たいくつであろう、ちっとおにわでもあるいてみませぬか。わたしたちがあんないします」)

退屈であろう、ちっとお庭でも歩いてみませぬか。わたし達が案内します」

(おんなたちにさゆうをとりまかれて、おちょうはにわげたをはいてひろいにわにおりた。)

女たちに左右を取りまかれて、お蝶は庭下駄をはいて広い庭に降りた。

(うえこみのあいだをくぐってゆくと、そこにはものすごいようなおおきいいけが)

植込みの間をくぐってゆくと、そこには物凄いような大きい池が

(あおいみずくさをいちめんにうかべて、みぎわにはあおいすすきやあしがのびていた。)

青い水草を一面にうかべて、みぎわには青い芒(すすき)や葦が伸びていた。

(このふるいけのそこにはおおきいなまずのぬしがすんでいると、ひとりのおんなが)

この古池の底には大きい鯰(なまず)の主(ぬし)が住んでいると、一人の女が

(おしえてくれたのでおちょうはぞっとした。)

教えてくれたのでお蝶はぞっとした。

(「しっ」と、れいのおんながきゅうにちゅういをあたえた。「いけのほうをみておいでなさい。)

「しッ」と、例の女が急に注意をあたえた。「池の方を見ておいでなさい。

(わきみをしてはなりませぬぞ」)

傍視(わきみ)をしてはなりませぬぞ」

(なにものかがどこかでじぶんをうかがっているのだときがついて、おちょうはきゅうに)

何者かが何処かで自分を窺っているのだと気がついて、お蝶は急に

(みをかたくした。ぬしのひそんでいるというおそろしいいけをのぞいたままで、)

身を固くした。主のひそんでいるという恐ろしい池を覗いたままで、

(かのじょはしばらくつったっていると、やがてそのけいかいもとけたらしく、)

彼女はしばらく突っ立っていると、やがてその警戒も解けたらしく、

(おんなたちはまたうちくつろいでしずかにあるきだした。)

女たちはまた打ちくつろいでしずかにあるき出した。

(もとのざしきへもどると、おちょうはまたいっときばかりのきゅうそくをあたえられた。)

もとの座敷へ戻ると、お蝶はまた一刻ばかりの休息をあたえられた。

(おんなたちはくさぞうしなどをもってきてかしてくれた。ひるめしがすむと、)

女たちは草双紙などを持って来て貸してくれた。午飯(ひるめし)がすむと、

(ひとりのおんながきてことをひいた。ろくがつはじめのあついひに、けっしてえんがわのしょうじを)

一人の女が来て琴をひいた。六月はじめの暑い日に、決して縁側の障子を

(あけることはゆるされなかった。ふすまもむろんにしめきってあった。)

あけることは許されなかった。襖も無論に閉め切ってあった。

(おちょうはていのいいざしきろうのようなありさまでながいひをくらした。)

お蝶は体(てい)の好い座敷牢のようなありさまで長い日を暮した。

(ゆうがたになると、ゆうべのとおりにゆどのにあんないされて、かえってくると)

夕方になると、ゆうべの通りに湯殿に案内されて、帰ってくると

(こんやはべつのきものにきかえさせられた。あかりがつくと、つくえのまえに)

今夜は別の着物に着かえさせられた。あかりがつくと、机の前に

(またすわらされた。こんやはだれもしのんできてうかがっているらしいようすは)

また坐らされた。今夜は誰も忍んで来て窺っているらしい様子は

(みえなかったが、それでもおちょうはまだまだゆだんができなかった。)

見えなかったが、それでもお蝶はまだまだ油断ができなかった。

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