半七捕物帳 春の雪解1

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岡本綺堂 半七捕物帳シリーズ 第九話
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1 kkk4015 4911 B 5.0 96.9% 515.3 2614 83 45 2024/11/03

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問題文

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(「あなたはおしばいがすきだから、こうちやまのきょうげんをごぞんじでしょう。)

一 「あなたはお芝居が好きだから、河内山の狂言を御存知でしょう。

(みちとせのおいらんがいりやのりょうへでようじょうをしていると、)

三千歳(みちとせ)の花魁が入谷の寮へ出養生をしていると、

(そこへなおざむらいがしのんでくる。あのきよもとのげだいは)

そこへ直侍(なおざむらい)が忍んで来る。あの清元の外題(げだい)は

(なんといいましたっけね。そう、しのびあうはるのゆきどけ。)

なんと云いましたっけね。そう、忍逢春雪解(しのびあうはるのゆきどけ)。

(わたくしはあのきょうげんをみるたんびに、いつもおもいだすことが)

わたくしはあの狂言を看(み)るたんびに、いつも思い出すことが

(あるんですよ」と、はんしちろうじんはつづけてはなした。「もちろんおはなしのすじみちは)

あるんですよ」と、半七老人はつづけて話した。「勿論お話の筋道は

(まるでちがいますがね。ぶたいはおなじいりやたんぼで、はるのゆきの)

まるで違いますがね。舞台は同じ入谷田圃(いりやたんぼ)で、春の雪の

(ちらちらふるゆうがたに、まつすけのじょうがのようなあんまがずきんをかぶって)

ちらちら降る夕方に、松助の丈賀のような按摩(あんま)が頭巾をかぶって

(でてくる、そのばめんのおもむきがあのきょうげんにそっくりなんですよ。)

出て来る、その場面の趣があの狂言にそっくりなんですよ。

(まあ、きいてください。わたくしのほうはすばなしで、はまちょうの)

まあ、聴いてください。わたくしの方は素話(すばなし)で、浜町の

(たゆうさんのいきなのどをきかせるなんていうわけにはいかないんですから、)

太夫さんの粋な喉を聴かせるなんていうわけには行かないんですから、

(おはなしにつやはありませんがね」)

お話に艶(つや)はありませんがね」

(けいおうがんねんのしょうがつのすえであった。かんだからしたやのりゅうせんじまえまで)

慶応元年の正月の末であった。神田から下谷の竜泉寺前まで

(ようたしにいったはんしちは、ななつはん(ごごごじ)ごろにせんぽうのうちをでると、)

用達(ようたし)に行った半七は、七ツ半(午後五時)頃に先方の家を出ると、

(かえりみちはもううすぐらくなっていた。はるといってもこのころのひはまだみじかいのに、)

帰り路はもう薄暗くなっていた。春といっても此の頃の日はまだ短いのに、

(きょうはあさからそらのいろがねずにそまって、いまにもしろいものが)

きょうは朝から空の色が鼠(ねず)に染まって、今にも白い物が

(こぼれおちそうなくらいさむいかげにおおわれているので、とりわけてゆうぐれが)

こぼれ落ちそうな暗い寒い影に掩われているので、とりわけて夕暮が

(はやくせまってきたようにおもわれた。せんぽうでもかさをかしてやろうと)

早く迫って来たように思われた。先方でも傘を貸してやろうと

(いってくれたが、うちへかえるまでくらいはどうにかもちこたえるだろうと)

云ってくれたが、家(うち)へ帰るまで位はどうにか持ちこたえるだろうと

(ことわって、はんしちはふところででそこをでると、いりやたんぼへさしかかるころには、)

断って、半七はふところ手でそこを出ると、入谷田圃へさしかかる頃には、

など

(つるのはねをむしったようなしろいかげがもうめさきへちらついてきたので、)

鶴の羽をむしったような白い影がもう眼先へちらついて来たので、

(はんしちはてぬぐいをだしてほおかむりをして、たんぼをふきぬけるさむいかぜのなかを)

半七は手拭を出して頬かむりをして、田圃を吹きぬける寒い風のなかを

(つっきってあるいた。「ちょいと、とくじゅさん。おまえさんもごうじょうだね。)

突っ切って歩いた。「ちょいと、徳寿さん。おまえさんも強情だね。

(まあ、ちょいときておくれというに・・・・・・」)

まあ、ちょいと来ておくれと云うに……」

(おんなのこえがみみにはいったので、はんしちはふとみかえると、どこかのりょうらしい)

女の声が耳にはいったので、半七はふと見かえると、どこかの寮らしい

(ふうがなかまえのもんのまえで、としごろはにじゅうごろくのなかばたらきらしいこいきなおんなが、)

風雅な構えの門の前で、年頃は二十五六の仲働きらしい小粋な女が、

(ひとりのあんまのたもとをつかんでひきもどそうとしているのであった。)

一人の按摩の袂をつかんで曳き戻そうとしているのであった。

(「おときさん。いけませんよ。きょうはこれからなかにおやくそくが)

「お時さん。いけませんよ。きょうはこれから廓(なか)にお約束が

(あるんですから、まあかんにんしておくんなさいよ」と、あんまはにげるように)

あるんですから、まあ堪忍しておくんなさいよ」と、按摩は逃げるように

(ふりきっていこうとするのを、おときというおんなはまたひきもどした。)

振り切って行こうとするのを、お時という女はまた曳き戻した。

(「それじゃああたしがこまるんだからさ。あんまさんはほかにもおおぜいあるけれども、)

「それじゃああたしが困るんだからさ。按摩さんはほかにも大勢あるけれども、

(おいらんはおまえさんがごひいきで、ほかのひとじゃあいけないと)

花魁はお前さんが御贔屓(ごひいき)で、ほかの人じゃあいけないと

(いうんだから、すなおにきてくれないと、あたしがまったくこまるんだよ」)

云うんだから、素直に来てくれないと、あたしが全く困るんだよ」

(「ごひいきにしてくださるのはまことにありがたいことで、)

「御贔屓にして下さるのはまことにありがたいことで、

(いつもおれいをもうしているのでございますが、きょうはなにぶんにも)

いつもお礼を申しているのでございますが、きょうは何分にも

(まえまえからのおやくそくがありますので・・・・・・」)

前々からのお約束がありますので……」

(「うそをおつきよ、おまえさんはこのごろまいにちそんなことをいっているんだもの。)

「嘘をおつきよ、お前さんは此の頃毎日そんなことを云っているんだもの。

(おいらんだってあたしだってほんとうにおもうかね。ぐずぐずいってないで)

花魁だってあたしだって本当に思うかね。ぐずぐず云ってないで

(はやくきておくれよ。じれったいひとだねえ」)

早く来ておくれよ。焦(じ)れったい人だねえ」

(「でも、いけませんよ。まったくきょうばかりはかんにんしてください」)

「でも、いけませんよ。まったくきょうばかりは堪忍してください」

(どっちもなかなかごうじょうで、よういにらちがあきそうにもなかった。)

どっちもなかなか強情で、容易に埒が明きそうにもなかった。

(しかしかくべつにおもしろそうなじけんでもないので、はんしちはいいかげんに)

しかし格別に面白そうな事件でもないので、半七は好い加減に

(ききながしてとおりすぎた。ゆきはけしきばかりで、うちへかえりつくころには)

聞き流して通り過ぎた。雪は景色ばかりで、家へ帰りつく頃には

(やんでしまったが、それからくもったひがふつかほどつづいた。)

歇(や)んでしまったが、それから陰(くも)った日が二日ほどつづいた。

(みっかめにはんしちはふたたびりゅうせんじまえへいかねばならないようじができた。)

三日目に半七はふたたび竜泉寺前へ行かねばならない用事が出来た。

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