半七捕物帳 朝顔屋敷1
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問題文
(「あんせい3ねん・・・・・・11がつの16にちとおぼえています。あさのななつ(ごぜん4じ)ごろに)
一 「安政三年……十一月の十六日と覚えています。朝の七ツ(午前四時)頃に
(かんだのやなぎはらどてのきんじょにかじがありましてね。なに、4、5けんやけで)
神田の柳原堤(どて)の近所に火事がありましてね。なに、四、五軒焼けで
(すんだのですが、そのあたりにしっているうちがあったもんですから、)
済んだのですが、その辺に知っている家があったもんですから、
(うすっくらいうちにみまいにいって、ちっとばかりおしゃべりをしてうちへかえって、)
薄っ暗いうちに見舞に行って、ちっとばかりおしゃべりをして家へ帰って、
(あさゆへとびこんで、それからあさめしをくっていると、もうかれこれ)
あさ湯へ飛び込んで、それからあさ飯を食っていると、もうかれこれ
(いつつ(ごぜん8じ)ちかくになりましたろう。そこへはっちょうぼりのまきはらという)
五ツ(午前八時)近くになりましたろう。そこへ八丁堀の槇原という
(だんな(どうしん)からつかいがきて、わたくしにすぐこいというんです。)
旦那(同心)から使が来て、わたくしにすぐ来いと云うんです。
(あさっぱらからなんだろうとおもって、すぐにしたくをしてでていきました」)
朝っぱらから何だろうと思って、すぐに支度をして出て行きました」
(はんしちろうじんはひょうじょうにとんでいるめじりをすこししかめて、)
半七老人は表情に富んでいる眼眦(めじり)を少ししかめて、
(そのとうじのさまをめにうかべるようにひといきついた。)
その当時のさまを眼に浮かべるように一と息ついた。
(「だんなのうちはたまごやしんどうで、そのやしきのもんをくぐると、かおなじみの)
「旦那の家は玉子屋新道で、その屋敷の門をくぐると、顔馴染の
(とくぞうというちゅうげんがげんかんにたっていて、だんながおいそぎだ、)
徳蔵という中間(ちゅうげん)が玄関に立っていて、旦那がお急ぎだ、
(はやくあがれというんです。すぐにおくへとおされると、だんなのまきはらさんと)
早くあがれと云うんです。すぐに奥へ通されると、旦那の槇原さんと
(さしむかいで、しじゅうかっこうのじんぴんのよいおぶけがひとりすわっていました。)
差し向かいで、四十格好の人品の好いお武家が一人坐っていました。
(そのひとはうらよばんちょうにやしきをもっているすぎのという850こくどりの)
その人は裏四番町に屋敷をもっている杉野という八百五十石取りの
(はたもとのようにんで、なかじまかくえもんというなふだをわたくしのまえにだしましたから、)
旗本の用人で、中島角右衛門という名札をわたくしの前に出しましたから、
(こっちもかたのごとくにしょたいめんのあいさつをしていますと、)
こっちも式(かた)のごとくに初対面の挨拶をしていますと、
(まきはらのだんなはまちかねたようにいうんです。じつはこのかたから)
槇原の旦那は待ち兼ねたように云うんです。実はこの方から
(ないないにおたのみをうけたすじがある。なにぶんおもてざたにしてはぐあいが)
内々にお頼みをうけた筋がある。なにぶん表沙汰にしては工合(ぐあい)が
(わるいので、どこまでもないみつにたんさくしてもらいたいとおっしゃるのだから、)
悪いので、どこまでも内密に探索して貰いたいとおっしゃるのだから、
(あなたからくわしいはなしをうかがって、せっきまえにきのどくだが)
あなたから詳しい話をうかがって、節季(せっき)前に気の毒だが
(ひとつはたらいてくれと・・・・・・。わたくしもごようのことですからいさいしょうちして、)
一つ働いてくれと……。わたくしも御用のことですから委細承知して、
(そのかくえもんというひとのはなしをきくと、そのあらましはこういうわけなんです」)
その角右衛門という人の話を聞くと、そのあらましはこういう訳なんです」
(きょうからようかまえのことであった。れいねんのとおりに、おちゃのみずのせいどうで)
…… きょうから八日前のことであった。例年の通りに、お茶の水の聖堂で
(そどくぎんみがおこなわれた。そどくぎんみというのは、はたもとごけにんの)
素読吟味(そどくぎんみ)が行われた。素読吟味というのは、旗本御家人の
(していがじゅうにさんさいになると、いちどはかならずせいどうにでてししょごきょうの)
子弟が十二三歳になると、一度は必ず聖堂に出て四書五経の
(そどくぎんみをうけるのがそのとうじのしゅうかんで、このぎんみをとどこおりなく)
素読吟味を受けるのが其の当時の習慣で、この吟味をとどこおりなく
(つうかしたものでなければいちにんまえとはいわれない。ぎんみのぜんげつまでに)
通過した者でなければ一人前とは云われない。吟味の前月までに
(くみぐみのしはいがしらへがんしょをだしておくと、とうじついつつはん(ごぜん9じ)までに)
組々の支配頭へ願書を出しておくと、当日五ツ半(午前九時)までに
(せいどうにしゅっとうせよというたっしがある。それをうけとったなんじゅうにん、)
聖堂に出頭せよという達(たっし)がある。それを受け取った何十人、
(としによってはなんびゃくにんのおとこのこが、とうじつうちそろってせいどうのなんろうへでて、)
年によっては何百人の男の児が、当日打ち揃って聖堂の南楼へ出て、
(はやしずしょのかみをはじめとしてしょじゅがくしゃれっせきのまえに)
林図書頭(はやしずしょのかみ)をはじめとして諸儒学者列席の前に
(ひとりずつよびだされ、いっけんはんもあるおおきいからづくえのまえにすわって)
一人ずつ呼び出され、一間半もある大きい唐机(からづくえ)の前に坐って
(そどくのしけんをうけるのである。せいせきゆうとうのものにたいしては、)
素読の試験を受けるのである。成績優等のものに対しては、
(みぶんにおうじてたんものやしろがねのしょうよがでた。)
身分に応じて反物や白銀の賞与が出た。
(しゅっとうのじこくはいつつはんというのであるが、まえまえからのしゅうかんで、)
出頭の時刻は五ツ半というのであるが、前々からの習慣で、
(ぎんみをうけるものはむつどき(ごぜん6じ)ごろまでにせいどうのもんにはいるのを)
吟味をうける者は六ツ時(午前六時)頃までに聖堂の門にはいるのを
(れいとしていたので、やしきのとおいものはよるのあけないうちからいえをでて)
例としていたので、屋敷の遠い者は夜のあけないうちから家を出て
(いかなければならない。そうして、いよいよぎんみのはじまるよつどき)
行かなければならない。そうして、いよいよ吟味のはじまる四ツ時
((ごぜん10じ)までまっていなければならない。たといぶけのこどもだといっても、)
(午前十時)まで待っていなければならない。たとい武家の子供だと云っても、
(ちょうどじゅうにさんのいたずらざかりがおおぜいいちどによりあうのであるから、)
ちょうど十二三のいたずら盛りが大勢一度に寄り合うのであるから、
(きんばんしはいのやくにんどもがしかったりすかしたりしてからくもとりしずめて)
勤番支配の役人どもが叱ったり賺(すか)したりして辛くも取り鎮めて
(いるのである。こどもたちはみぶんにおうじてはぶたえのくろもんつきの)
いるのである。子供たちは身分に応じて羽二重(はぶたえ)の黒紋付きの
(こそでをきて、おめみえいじょうのいえのこはつぎがみしも、)
小袖を着て、御目見(おめみえ)以上の家の子は継裃(つぎがみしも)、
(おめみえいかのものはふつうのあさかみしもをつけていた。)
御目見以下の者は普通の麻裃を着けていた。