半七捕物帳 朝顔屋敷2
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問題文
(かくえもんのしゅじんのせがれすぎのだいざぶろうもことし13でぎんみのねがいをだした。)
角右衛門の主人の伜杉野大三郎もことし十三で吟味の願いを出した。
(だいざぶろうはくみちゅうでもひょうばんのびしょうねんで、くろのかたぎぬにもえぎのはかま)
大三郎は組中でも評判の美少年で、黒の肩衣(かたぎぬ)に萌黄(もえぎ)の袴
(というつぎがみしもをつけたかれのまえがみすがたは、しばいでみるちゅうしんぐらのりきやのように)
という継裃を着けた彼の前髪姿は、芝居でみる忠臣蔵の力弥(りきや)のように
(うつくしかった。たいしんのしそくであるから、かれはやまざきへいすけという)
美しかった。大身(たいしん)の子息であるから、かれは山崎平助という
(27さいのちゅうごしょうと、またぞうというちゅうげんとをともにつれてでた。)
二十七歳の中小姓(ちゅうごしょう)と、又蔵という中間とを共につれて出た。
(うらよばんちょうのやしきをでたのはとうじつのななつ(ごぜん4じ)をすこしすぎたころで、)
裏四番町の屋敷を出たのは当日の七ツ(午前四時)を少し過ぎた頃で、
(とがったさむさはめにしみるようであった。またぞうはじょうもんつきのちょうちんを)
尖った寒さは眼に沁みるようであった。又蔵は定紋付きの提灯を
(ふりてらしてさきにたった。3にんのぞうりはあかつきのしもをふんでいった。)
ふり照らして先に立った。三人の草履は暁の霜を踏んで行った。
(すいどうばしをわたっても、ふゆのよるはまだあけなかった。あおざめたほしが)
水道橋を渡っても、冬の夜はまだ明けなかった。蒼ざめた星が
(くろいまつのうえにこおりついたようにさびしくひかって、ねずみいろのもやにつつまれた)
黒い松の上に凍り着いたように寂しく光って、鼠色の靄(もや)につつまれた
(おちゃのみずのながれにはみずあかりすらもみえなかった。ここらはとりわけて)
お茶の水の流れには水明かりすらも見えなかった。ここらは取り分けて
(しもがおおいとみえて、たかいどてのかれくさはゆきにうめられたように)
霜が多いと見えて、高い堤(どて)の枯れ草は雪に埋められたように
(まっしろにふして、どこやらできつねのくらくなくこえがきこえた。)
真っ白に伏して、どこやらで狐の暗く啼(な)く声がきこえた。
(3にんはしろいいきをはきながらどてにそうてのぼってくると、へいすけは)
三人は白い息を吐きながら堤に沿うてのぼってくると、平助は
(しもにすべるあしをふみこらえるはずみにあたらしいぞうりのおをきってしまった。)
霜にすべる足を踏みこらえるはずみに新らしい草履の緒を切ってしまった。
(「これはこまった。またぞう、あかりをみせてくれ」)
「これは困った。又蔵、燈火(あかり)を見せてくれ」
(ちゅうげんのちょうちんをさしつけさせて、へいすけはどてのすそにしゃがんでぞうりのおを)
中間の提灯を差し付けさせて、平助は堤の裾にしゃがんで草履の緒を
(たてていた。どうにかこうにかつくろってしまって、さてふりかえってみると、)
立てていた。どうにかこうにかつくろってしまって、さて振り返って見ると、
(そばにたっているはずのだいざぶろうのすがたがどこかへかきえてしまったのである。)
そばに立っているはずの大三郎の姿がどこかへか消えてしまったのである。
(ふたりはおどろいた。こどものことであるから、あるいはじぶんたちを)
二人はおどろいた。子供のことであるから、あるいは自分たちを
(おきざりにしてさきにいったのかともおもったので、ふたりはわかさまのなを)
置き去りにして先に行ったのかとも思ったので、二人は若さまの名を
(よびながらあとをおったが、はんちょうほどのあいだにそれらしいかげはみえなかった。)
呼びながら後を追ったが、半町ほどの間にそれらしい影は見えなかった。
(いくらよんでもへんじはなかった。ただときどききつねのこえがきこえるばかりであった。)
いくら呼んでも返事はなかった。ただ時々狐の声がきこえるばかりであった。
(「きつねにばかされたんじゃあるまいか」と、またぞうはふあんらしくいった。)
「狐に化かされたんじゃあるまいか」と、又蔵は不安らしく云った。
(「まさか」と、へいすけはあざわらった。しかしかれにもそのりくつがわからなかった。)
「まさか」と、平助はあざ笑った。しかし彼にもその理窟が判らなかった。
(じぶんがうずくまってぞうりのはなおをたて、またぞうがうつむいてちょうちんを)
自分がうずくまって草履の鼻緒を立て、又蔵がうつむいて提灯を
(かざしているうちに、だいざぶろうのすがたはいつかきえうせたのである。)
かざしているうちに、大三郎の姿はいつか消え失せたのである。
(わずかのあいだにそんなにとおいところへいってしまうはずがない。)
わずかの間にそんなに遠いところへ行ってしまう筈がない。
(ことにあたりはおうらいのないあけがたであるから、だれかがこのびしょうねんを)
殊にあたりは往来のない暁方(あけがた)であるから、誰かがこの美少年を
(さらっていったともおもわれない。へいすけはじつにしあんにあまった。)
さらって行ったとも思われない。平助は実に思案に余った。
(「そういってもこどものことだ。あんまりさむいのでむやみにかけだして)
「そう云っても子供のことだ。あんまり寒いので無暗に駈け出して
(いったのかもしれない」)
行ったのかも知れない」
(ふたりはここにまよっていてもしようがないので、ともかくもせいどうまで)
二人はここに迷っていてもしようがないので、ともかくも聖堂まで
(いそいでいった。かかりのやくにんにあってきいてみると、すぎのだいざぶろうどのは)
急いで行った。係りの役人に逢って訊いてみると、杉野大三郎どのは
(まだとうちゃくされないとのことであった。ふたりはまたがっかりさせられた。)
まだ到着されないとのことであった。二人は又がっかりさせられた。
(よんどころなくふたたびひっかえして、もときたみちをさがしてあるいたが、)
よんどころなく再び引っ返して、もと来た道を探して歩いたが、
(どこにもだいざぶろうのすがたはみつからなかった。)
どこにも大三郎の姿は見付からなかった。
(「いよいよきつねにばかされたか。それともかみかくしか」と、へいすけも)
「いよいよ狐に化かされたか。それとも神隠しか」と、平助も
(だんだんにうたがいはじめた。)
だんだんに疑いはじめた。
(このじだいにはかみかくしということがいっぱんにしんじられていた。こどもばかりではない、)
この時代には神隠しということが一般に信じられていた。子供ばかりではない、
(そうとうのとしごろになったにんげんでも、とつぜんにすがたをかくしていつか、とおか、)
相当の年頃になった人間でも、突然に姿をかくして五日、十日、
(あるいははんつきいじょう、ながいのははんとし1ねんぐらいもそのゆくえの)
あるいは半月以上、長いのは半年一年ぐらいも其のゆくえの
(しれないことがしばしばある。そうして、あるときにどこからともなしに)
知れないことがしばしばある。そうして、ある時に何処からともなしに
(ひょうぜんともどってくるのである。そのもどってくるばあいも)
飄然(ひょうぜん)と戻って来るのである。その戻ってくる場合も
(つねとはちがって、あるものはもんぜんにたおれているのもある。あるものはうらぐちに)
常とは違って、ある者は門前に倒れているのもある。ある者は裏口に
(ぼんやりつったっているのもある。はなはだしいのはやねのうえで)
ぼんやり突っ立っているのもある。甚(はなは)だしいのは屋根の上で
(げらげらわらっているのもある。だんだんかいほうしてようすをききただしても、)
げらげら笑っているのもある。だんだん介抱して様子を聞きただしても、
(ほんにんはゆめのようでなんにもきおくしていないのがおおい。あるものはきかいな)
本人は夢のようでなんにも記憶していないのが多い。ある者は奇怪な
(やまぶしにつれられてとおいやまおくへとんでいったなどという。)
山伏(やまぶし)に連れられて遠い山奥へ飛んで行ったなどと云う。
(そのやまぶしはおそらくてんぐであろうといいつたえられている。かりにも)
その山伏はおそらく天狗であろうと云い伝えられている。仮りにも
(ぶしたるものがそんなかいいをしんずべきではないとおもいながら、)
武士たるものがそんな怪異を信ずべきではないと思いながら、
(へいすけもいまのばあい、あるいはしゅじんのむすこもそのてんぐやまぶしに)
平助も今の場合、あるいは主人の息子もその天狗山伏に
(つかみさられたのではないかといういくぶんのふあんがきざしてきた。)
摑み去られたのではないかという幾分の不安がきざして来た。