半七捕物帳 朝顔屋敷8
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問題文
(「おまえさんにどうにかしてくれというんじゃねえ。)
「お前さんにどうにかしてくれと云うんじゃねえ。
(おまえさんからおくさまにおねがいもうして・・・・・・」)
お前さんから奥様にお願い申して……」
(「おくさまにだってたびたびいわれるものか、このあいだのいっけんは)
「奥様にだってたびたび云われるものか、このあいだの一件は
(10りょうでしきられているんだ。それをきさまとおれとでやまわけにしたんだから、)
十両で仕切られているんだ。それを貴様と俺とで山分けにしたんだから、
(もういいぶんはねえはずだ」)
もう云い分はねえ筈だ」
(「いいぶんじゃあねえ。たのむんですよ」と、またぞうはしつこくくどいた。)
「云い分じゃあねえ。頼むんですよ」と、又蔵はしつこく口説いた。
(「まあ、なんとかしておくんなせえ。おんなにせめられてまったくやりきれねえんだから。)
「まあ、何とかしておくんなせえ。女に責められて全く遣り切れねえんだから。
(おまえさんだって、まんざらおぼえのねえことでもありますめえ。)
お前さんだって、まんざら覚えのねえことでもありますめえ。
(ちっとはおもいやりがあってもいいじゃありませんか」)
ちっとは思いやりがあっても好いじゃありませんか」
(あいてがだまってとりあわないので、またぞうもじれだしたらしい。)
相手が黙って取り合わないので、又蔵も焦(じ)れ出したらしい。
(よっているかれのちょうしはすこしあらくなった。)
酔っている彼の調子は少し暴(あら)くなった。
(「じゃあ、どうしてもいけねえんですかえ。もうこうなりゃしかたがねえ。)
「じゃあ、どうしてもいけねえんですかえ。もうこうなりゃ仕方がねえ。
(ごようにんがけさはっちょうぼりへでかけたということだから、わっしもこれから)
御用人がけさ八丁堀へ出かけたということだから、わっしもこれから
(はっちょうぼりへいって、わかとのさまはこういうところに・・・・・・」)
八丁堀へ行って、若殿様はこういうところに……」
(「おどかすな」と、へいすけはまたあざわらった。「りょうごくのおででこしばいで)
「嚇かすな」と、平助はまたあざ笑った。「両国の百日(おででこ)芝居で
(おぼえてきやあがって、おつなたんかをきりゃあがるな。)
覚えて来やあがって、乙な啖呵(たんか)を切りゃあがるな。
(そんなもんくはほかさまへいってもうしあげろ。おきのどくだがつじばんがちがうぞ」)
そんな文句はほか様へ行って申し上げろ。お気の毒だが辻番が違うぞ」
(まだよいのくちではあるが、せけんがひっそりとしずまっているので、)
まだ宵の口ではあるが、世間がひっそりと鎮まっているので、
(こうしたおしもんどうがてにとるようにはんしちのみみにつたわった。)
こうした押し問答が手に取るように半七の耳に伝わった。
(いずれこのおさまりはおだやかにすむまいとみていると、)
いずれこの納まりは平穏(おだやか)に済むまいと見ていると、
(それからふたりのあいだにとがったこえがこうかんされて、しまいには)
それから二人のあいだに尖った声が交換されて、しまいには
(ふたつのかげがもつれあってうごきだした。くちではかなわないまたぞうが)
二つの影がもつれ合って動き出した。口では敵(かな)わない又蔵が
(とうとううでずくのしょうぶになったのである。それでもへいすけはさすがに)
とうとう腕ずくの勝負になったのである。それでも平助はさすがに
(ぶげいのたしなみがあるらしく、あいてをつちのうえにねじふせて、)
武芸のたしなみがあるらしく、相手を土の上にねじ伏せて、
(せったをぬいでつづけうちになぐりつけた。)
雪駄(せった)をぬいで続け打ちになぐり付けた。
(「かっぱやろう。はっちょうぼりへでも、かさいのげんじろうぼりへでもかってにいけ。)
「河童野郎。八丁堀へでも、葛西(かさい)の源治郎堀へでも勝手に行け。
(おれたちはわたりぼうこうのにんげんだ。まんいちことがばれたところで、)
おれ達は渡り奉公の人間だ。万一事(こと)が露(ば)れたところで、
(あとはのとなれ、やしきをおんでればそれですむんだ。)
あとは野となれ、屋敷を追ん出ればそれで済むんだ。
(くやしけりゃあどうともしろ」)
口惜しけりゃあどうともしろ」
(きもののどろをはたいて、へいすけはゆうゆうとたちさってしまった。)
着物の泥をはたいて、平助は悠々と立ち去ってしまった。
(なぐられて、どくづかれて、さげじゅうのいろおとこはいくじもなくそこにたおれていた。)
なぐられて、毒突かれて、提重の色男は意気地もなく其処に倒れていた。
(「あにい、ひどくきりょうがわるいじゃあねえか」と、はんしちは)
「大哥(あにい)、ひどく器量が悪いじゃあねえか」と、半七は
(どぶからはいあがってこえをかけた。)
溝から這いあがって声をかけた。
(「なにをいやあがるんだ。うぬのしったことじゃあねえ」と、)
「なにを云やあがるんだ。うぬの知ったことじゃあねえ」と、
(またぞうはつらをふくらせてはいおきた。「ぐずぐずいやあがると)
又蔵は面(つら)を膨らせて這い起きた。「ぐずぐず云やあがると
(こんどはうぬがあいてだぞ」)
今度は汝(うぬ)が相手だぞ」
(「まあ、いいや。そんなにむきになるな」と、はんしちはわらった。)
「まあ、いいや。そんなにむきになるな」と、半七は笑った。
(「どうだい、えんぎなおしにいっぱいのもうじゃねえか。)
「どうだい、縁喜(えんぎ)直しに一杯飲もうじゃねえか。
(ひけしやしきでいちどやにどはあったこともある。まんざらしらねえかおでもねえ」)
火消し屋敷で一度や二度は逢ったこともある。まんざら知らねえ顔でもねえ」
(てぬぐいをとったはんしちのかおを、つきのひかりにすかしてみてまたぞうはおどろいた。)
手拭をとった半七の顔を、月の光りに透かしてみて又蔵はおどろいた。
(「や、みかわちょうか」)
「や、三河町か」