半七捕物帳 朝顔屋敷10

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岡本綺堂 半七捕物帳シリーズ 第11話

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問題文

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(あるひのことである。わかとのだいざぶろうがちゅうげんのまたぞうをともにつれて、)

ある日のことである。若殿大三郎が中間の又蔵を供に連れて、

(あかさかのしんるいをたずねた。そのかえりにじぶんのやしきのきんじょまでくると、)

赤坂の親類をたずねた。その帰りに自分の屋敷の近所まで来ると、

(そこにさんしじゅっぴょうからごろくじゅっぴょうどりくらいのちいさいごけにんたちの)

そこに三四十俵から五六十俵取りくらいの小さい御家人たちの

(くみやしきがあって、じゅうにさんをかしらに4、5にんのこどもがおうらいにあそんでいた。)

組屋敷があって、十二三を頭に四、五人の子供が往来に遊んでいた。

(あそびにむちゅうになっているひとりのこどもは、かけだすはずみにだいざぶろうに)

遊びに夢中になっている一人の子供は、駈け出すはずみに大三郎に

(つきあたって、ふたりはおりかさなってろぼうにたおれた。もともと)

突き当たって、ふたりは折り重なって路傍に倒れた。もともと

(あくいではないことはわかっていたが、とものまたぞうはしゅじんをつきたおされたのと、)

悪意ではないことは判っていたが、供の又蔵は主人を突き倒されたのと、

(あいてがしょうしんもののこどもであるというけいぶとで、そのこどもの)

相手が小身者(しょうしんもの)の子供であるという軽侮とで、その子供の

(えりがみをひっつかんでいきなりぽかりぽかりなぐりつけた。これはむろんに)

襟髪を引っ摑んでいきなりぽかりぽかりなぐりつけた。これは無論に

(またぞうのしそんじであった。かれらはともかくもぶしのこである。)

又蔵の仕損じであった。かれ等はともかくも武士の子である。

(りひもたださずにみだりにひとをちょうちゃくするとはなにごとだと)

理非も糺(ただ)さずにみだりに人を打擲(ちょうちゃく)するとは何事だと

(いきまいた。もうひとつには、こっちがあいてをしょうしんものとあなどるとどうじに、)

いきまいた。もう一つには、こっちが相手を小身者と侮ると同時に、

(あいてのほうではたいしんにたいするいっしゅのねたみとひがみがあった。)

相手の方では大身に対する一種の妬(ねた)みと僻(ひが)みがあった。

(かれらはすぐにくみじゅうのこどもをよびあつめて、めいめいぼくとうやしないをもちだして、)

彼等はすぐに組中の子供を呼びあつめて、めいめい木刀や竹刀を持ち出して、

(およそじゅうごろくにんがときをつくっておってきた。そのなかには、)

およそ十五六人が鬨(とき)を作って追って来た。その中には、

(かれらのあにらしいせいねんがたんぽやりをかいこんでいるのもあった。)

かれらの兄らしい青年がたんぽ槍を搔い込んでいるのもあった。

(これにはまたぞうもぎょっとした。さりとていまさらあやまるのもごうはらだと)

これには又蔵もぎょっとした。さりとて今更あやまるのも業腹(ごうはら)だと

(おもったので、かれはおさないしゅじんをひきずっていっしょうけんめいににげだした。)

思ったので、かれは幼い主人を引き摺って一生懸命に逃げ出した。

(おいかけてきたこどもたちはすぎののもんぜんでくちぐちにどなった。)

追いかけて来た子供たちは杉野の門前で口々に呶鳴(どな)った。

(「おぼえていろ。そどくぎんみのときにきっとしかえしをするぞ」)

「おぼえていろ。素読吟味のときにきっと仕返しをするぞ」

など

(げんかんへころげこんだだいざぶろうのかおいろはまっさおであった。それがおくがたのみみにも)

玄関へ転げ込んだ大三郎の顔色はまっ蒼であった。それが奥方の耳にも

(きこえたので、かのじょのとがったしんけいはいよいよふるえた。)

きこえたので、彼女の尖った神経はいよいよふるえた。

(かのこどもたちはみならいげつのそどくぎんみにでるのである。ゆらいせいどうの)

かの子供たちはみな来月の素読吟味に出るのである。由来聖堂の

(ぎんみにでたばあいに、たいしんのことしょうしんのこはとかくにおりあいがわるい。)

吟味に出た場合に、大身の子と小身の子はとかくに折り合いが悪い。

(たいしんのこはおめみえいかのいかをもじって「いか」とののしると、)

大身の子は御目見(おめみえ)以下の以下をもじって「烏賊」と罵ると、

(しょうしんのほうではまけずに「たこ」といいかえす。このいかとたことの)

小身の方では負けずに「章魚(たこ)」と云いかえす。この烏賊と章魚との

(あらそいがねんねんたえない。あるばあいにはつかみあって、かかりのやくにんや)

争いが年々絶えない。ある場合には摑みあって、係りの役人や

(つきそいのけらいどもをてこずらせることもおうおうある。)

附き添いの家来どもを手古摺(てこず)らせることも往々ある。

(そうほうがぐうぜんにであってもそれであるのに、ましてやあいてがいしゅをふくんで、)

双方が偶然に出逢ってもそれであるのに、ましてや相手が意趣を含んで、

(さいしょからそのしかえしをするかくごでまちかまえていられてはたまらない。)

最初からその仕返しをする覚悟で待ち構えていられては堪まらない。

(いつのぎんみのばあいでも、たいしんのたこぐみはしょうすうで、しょうしんのいかぐみが)

いつの吟味の場合でも、大身の章魚組は少数で、小身の烏賊組が

(たすうであるのはわかりきっている。ことにこっちのせがれがきがさのたくましい)

多数であるのは判り切っている。殊にこっちの伜が気嵩(きがさ)のたくましい

(うまれつきならばかくべつ、じたいがおとなしいきゃしゃなたちであるだけに、)

生まれつきならば格別、自体がおとなしい華奢な質(たち)であるだけに、

(ははとしてのふあんはまたひとしおであった。ことしのあさがおはたしかに)

母としての不安は又ひとしおであった。ことしの朝顔は確かに

(このわざわいのぜんちょうにそういないとおそれられた。)

この禍いの前兆に相違ないと恐れられた。

(すでにぎんみのがんしょをさしだしたものを、いまさらみだりにとりさげることは)

すでに吟味の願書を差し出したものを、今更みだりに取り下げることは

(できない。たといそのじじょうをうったえたところで、おっとがひごろのきしょうとして)

出来ない。たといその事情を訴えたところで、夫が日頃の気性として

(とてもとりあってくれないのはわかっているので、おくがたはひとりでむねをいためた。)

とても取り合ってくれないのは判っているので、奥方は一人で胸を痛めた。

(そのうちにぎんみのひがだんだんにせまってくる。くろうがたたまって)

そのうちに吟味の日がだんだんに迫ってくる。苦労が畳まって

(まいばんいやなゆめをみる。みくじをとればきょうとでる。おくがたはもう)

毎晩いやな夢を見る。神籤(みくじ)を取れば凶と出る。奥方はもう

(たまらなくなって、なんとかしてぎんみにでないくふうはあるまいかと、)

堪まらなくなって、何とかして吟味に出ない工夫はあるまいかと、

(けらいのへいすけにそっとそうだんした。)

家来の平助にそっと相談した。

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