64 マグナ・カルタ

背景
投稿者投稿者koda-iいいね1お気に入り登録
プレイ回数94難易度(5.0) 2065打 長文 長文モードのみ

関連タイピング

問題文

ふりがな非表示 ふりがな表示

(1214ねん、いんぐらんどのじょんおうはふらんすおうふぃりっぷにせい)

1214年、イングランドのジョン王はフランス王フィリップ二世

(とのたたかいにやぶれた。じょんはきこくすると、おうしつざいせいをさいけんする)

との戦いに敗れた。ジョンは帰国すると、王室財政を再建する

(ため、かいがいえんせいをしえんしなかったきぞくたちにじゅうぜいをかそうとした。)

ため、海外遠征を支援しなかった貴族たちに重税を課そうとした。

(きぞくたちははんこうし、1215ねんなつにはろんどんをせいあつした。)

貴族たちは反抗し、1215年夏にはロンドンを制圧した。

(ろんどんがかんらくしたため、じょんおうはてむずがわかはんのぼくそうち)

ロンドンが陥落したため、ジョン王はテムズ川河畔の牧草地

(らにみーどでわかいきょうぎのざについた。きょうぎのけっか、きほんてきな)

ラニミードで和解協議の座に着いた。協議の結果、基本的な

(じゆうがほしょうされ、おうのぜったいけんりょくにかずかずのせいげんがくわえられることと)

自由が保障され、王の絶対権力に数々の制限が加えられることと

(なり、そのないようは「まぐなかるた」というふこくぶんにまとめられた。)

なり、その内容は「マグナ・カルタ」という布告文にまとめられた。

(6がつ19にち、まぐなかるたにぎょじがおされ、くにじゅうでよみあげるように)

6月19日、マグナ・カルタに御璽が押され、国中で読み上げるように

(とめいじられた。まぐなかるたは、じょんおうだけでなく、)

と命じられた。マグナ・カルタは、ジョン王だけでなく、

(そのこうけいしゃもししそんそんまでしたがわなくてはならなかった。)

その後継者も子々孫々まで従わなくてはならなかった。

(さいしょのごういあんでは「あらゆるきぞく」にてきようされるとなっていたが、)

最初の合意案では「あらゆる貴族」に適用されるとなっていたが、

(けっていこうではもんごんが「あらゆるじゆうじん」にへんこうされた。)

決定稿では文言が「あらゆる自由人」に変更された。

(とうじ、いんぐらんどじんのうちじゆうじんはしょうすうしかいなかったが、)

当時、イングランド人のうち自由人は少数しかいなかったが、

(じだいとともに、このことばはこくみんぜんいんをふくむようになった。)

時代とともに、この言葉は国民全員を含むようになった。

(まぐなかるたのだいいちぶでは、いんぐらんどのきょうかいは「じゆうであり、)

マグナ・カルタの第一部では、イングランドの教会は「自由であり、

(なんぴともそのけんりをよわめたり、そのじゆうをそこなったりしてはならない」)

何人もその権利を弱めたり、その自由を損なったりしてはならない」

(とめいきされている。つづくじょうこうでは、こくおうときぞくのくんしんかんけいがせいぶんか)

と明記されている。続く条項では、国王と貴族の君臣関係が成文化

(されている。また、なんぴともせいとうなてつづきなくとうごくされないことを)

されている。また、何人も正当な手続きなく投獄されないことを

(ほしょうしたないようや、しょこうへのかぜいはおうこくの「いっぱんてきどうい」なくして)

保障した内容や、諸侯への課税は王国の「一般的同意」なくして

など

(じっししてはならないとするきていもあった。さいごのじょうこうでは、)

実施してはならないとする規定もあった。最後の条項では、

(きぞくとせいしょくしゃからなるかいぎをせっちし、こくおうにごういをまもらせるために)

貴族と聖職者から成る会議を設置し、国王に合意を守らせるために

(じつりょくをこうしするけんげんを、このかいぎがもつとさだめられていた。)

実力を行使する権限を、この会議が持つと定められていた。

(げんざいまぐなかるたは、いんぐらんどにおけるじゆうおよびほうのしはいの)

現在マグナ・カルタは、イングランドにおける自由および法の支配の

(きばんであり、りっけんくんしゅせいのもっともふるいこんげんであるとかんがえられている。)

基盤であり、立憲君主制の最も古い根源であると考えられている。

(しかし、こうふされてからなんひゃくねんものあいだ、ほとんどわすれさられて)

しかし、公布されてから何百年ものあいだ、ほとんど忘れ去られて

(いた。こうふしたとしの8がつには、きょうこういんのけんてぃうすさんせいに)

いた。公布した年の8月には、教皇インノケンティウス三世に

(よってむこうにされている。1217ねんにふたたびこうふされたが、ほうりつてきに)

よって無効にされている。1217年に再び公布されたが、法律的に

(じゅうようなぶんしょとはみなされなかった。まぐなかるたのじゅうようせいを)

重要な文書とは見なされなかった。マグナ・カルタの重要性を

(よみがえらせたのは、17せいきのぎかいしどうしゃえどわーどくっくで、)

よみがえらせたのは、17世紀の議会指導者エドワード・クックで、

(かれはすちゅあーとちょうのしょおうとのろんせんでまぐなかるたのりねんを)

彼はスチュアート朝の諸王との論戦でマグナ・カルタの理念を

(たびたびひきあいにだした。また、のちにはあめりかしょくみんちの)

たびたび引き合いに出した。また、のちにはアメリカ植民地の

(じゅうみんがどくりつをもとめてたたかうさいのせいしんてきよりどころとなった。)

住民が独立を求めて戦う際の精神的拠り所となった。

問題文を全て表示 一部のみ表示 誤字・脱字等の報告

koda-iのタイピング

オススメの新着タイピング

タイピング練習講座 ローマ字入力表 アプリケーションの使い方 よくある質問

人気ランキング

注目キーワード