132 アプリオリな知識

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1 ぽんこつラーメン 5954 A+ 6.1 97.3% 348.3 2133 59 31 2024/10/23

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問題文

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(このせかいについてのわたしたちのちしきは、たいはんがせかいをけいけんすることによって)

この世界についての私たちの知識は、大半が世界を経験することによって

(えたものだ。たとえば、わたしたちがまどのそとにきがあるのをしっているのは、)

得たものだ。例えば、私たちが窓の外に木があるのを知っているのは、

(それをみたからである。きがいきていくにはにっこうとみずがひつようなことを)

それを見たからである。木が生きていくには日光と水が必要なことを

(しっているが、それはかがくしゃがそうしたじじつをちゅういぶかくかんさつしてくれた)

知っているが、それは科学者がそうした事実を注意深く観察してくれた

(おかげだ。いっぱんに、わたしたちはみぢかなかんきょうについては、それを)

おかげだ。一般に、私たちは身近な環境については、それを

(ちかくすることによってしり、せかいについてのかがくてきちしきは、せかいをかんさつし、)

知覚することによって知り、世界についての科学的知識は、世界を観察し、

(じっけんをおこなうことによってかくとくしていく。)

実験を行うことによって獲得していく。

(しかし、わたしたちのちしきのなかには、このようないみでのけいけんにもとづかない)

しかし、私たちの知識の中には、このような意味での経験に基づかない

(ものがある。たとえばわたしたちは、どくしんだんせいはぜんいんがみこんのだんせいであることを)

ものがある。例えば私たちは、独身男性は全員が未婚の男性であることを

(しっている。では、このちしきがただしいとわたしたちがしんじているこんきょは)

知っている。では、この知識が正しいと私たちが信じている根拠は

(なんなのだろうか?なんらかのけいけんにもとづくものでないのはあきらかだ。もしけいけんに)

何なのだろうか?何らかの経験に基づくものでないのは明らかだ。もし経験に

(もとづくちしきだとしたら、わたしたちひとりひとりがそれをしるため、どくしんだんせいを)

基づく知識だとしたら、私たちひとりひとりがそれを知るため、独身男性を

(じっさいにしらべてみこんのだんせいであるかどうかをたしかめなくてはならない。しかし、)

実際に調べて未婚の男性であるかどうかを確かめなくてはならない。しかし、

(じっさいはそうではない。ただ「どくしんだんせい」ということばと「みこんのだんせい」という)

実際はそうではない。ただ「独身男性」という言葉と「未婚の男性」という

(ことばのいみをしることによって、わたしたちは、どくしんだんせいはぜんいんがみこんのだんせいだと)

言葉の意味を知ることによって、私たちは、独身男性は全員が未婚の男性だと

(しるのである(もちろん、こうしたことばのいみをしるためにはせかいをけいけんする)

知るのである(もちろん、こうした言葉の意味を知るためには世界を経験する

(ひつようがある。しかし、ここでもんだいにしているのは、ことばのいみをりかいしたうえで、)

必要がある。しかし、ここで問題にしているのは、言葉の意味を理解した上で、

(どくしんだんせいはぜんいんがみこんのだんせいだとしんじるこんきょをえるために、さらなるけいけんが)

独身男性は全員が未婚の男性だと信じる根拠を得るために、さらなる経験が

(ひつようかどうかということだ。もちろん、そんなひつようはないだろう)。)

必要かどうかということだ。もちろん、そんな必要はないだろう)。

(さらにいえば、わたしたちはどんなけいけんをすれば、どくしんだんせいはぜんいんがみこんのだんせい)

さらに言えば、私たちはどんな経験をすれば、独身男性は全員が未婚の男性

など

(であるということをひていするだろうか?そんなけいけんがそんざいしえないのなら、)

であるということを否定するだろうか?そんな経験が存在しえないのなら、

(このことをわたしたちがしんじるこんきょは、わたしたちのけいけんとむかんけいだということになる。)

このことを私たちが信じる根拠は、私たちの経験と無関係だということになる。

(けいけんにもとづかないちしきのことを「あぷりおりなちしき」という。)

経験に基づかない知識のことを「アプリオリな知識」という。

(「あぷりおり」とはらてんごで「~よりさきに」といういみで、つまりけいけんに)

「アプリオリ」とはラテン語で「~より先に」という意味で、つまり経験に

(さきだつせいとくてきせんてんてきなちしきということだ。あぷりおりなちしきのれいとしては、)

先立つ生得的・先天的な知識ということだ。アプリオリな知識の例としては、

(ほかにすうしきがある。わたしたちは1+1=2だとしっている。しかし、これはけいけんを)

ほかに数式がある。私たちは1+1=2だと知っている。しかし、これは経験を

(とおしてしったものではない。あるしゅちょうがあぷりおりなちしきかどうかを)

通して知ったものではない。ある主張がアプリオリな知識かどうかを

(たしかめるには、「このしゅちょうがけいけんとむじゅんしたら、しゅちょうのほうをよろこんで)

確かめるには、「この主張が経験と矛盾したら、主張の方を喜んで

(とりさげるだろうか?」とじもんするといい。1+1=2があぷりおりなちしきだと)

取り下げるだろうか?」と自問するといい。1+1=2がアプリオリな知識だと

(いうことは、どんなけいけんをしようとも、このしゅちょうをとりさげるひつようはないと)

いうことは、どんな経験をしようとも、この主張を取り下げる必要はないと

(いうことなのである。)

いうことなのである。

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