私の個人主義19

順位 | 名前 | スコア | 称号 | 打鍵/秒 | 正誤率 | 時間(秒) | 打鍵数 | ミス | 問題 | 日付 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | Par2 | 4174 | C | 4.2 | 97.2% | 501.9 | 2156 | 61 | 70 | 2025/03/05 |
関連タイピング
問題文
(わないものだからやっつけて)
わない者だからやっつけて
(しまえとか、わるいこともないのに、)
しまえとか、悪い事もないのに、
(ただそれらをらんようしたらどうでしょう。)
ただそれらを濫用したらどうでしょう。
(にんげんのこせいはそれでまったく)
人間の個性はそれで全く
(はかいされるとどうじに、にんげんのふこうも)
破壊されると同時に、人間の不幸も
(そこからおこらなければなりません。)
そこから起らなければなりません。
(たとえばわたしがなにもふつごうを)
たとえば私が何も不都合を
(はたらきらかないのに、たんにせいふに)
働らかないのに、単に政府に
(きにいらないからといって、)
気に入らないからと云って、
(けいしそうかんがじゅんさにわたしのいえを)
警視総監が巡査に私の家を
(とりまかせたらどんなものでしょう。)
取り巻かせたらどんなものでしょう。
(けいしそうかんにそれだけのけんりょくは)
警視総監にそれだけの権力は
(あるかもしれないが、とくぎは)
あるかも知れないが、徳義は
(そういうけんりょくのしようをかれに)
そういう権力の使用を彼に
(ゆるさないのであります。または)
許さないのであります。または
(みついとかいわさきとかいうごうしょうが、)
三井とか岩崎とかいう豪商が、
(わたしをきらうというだけのいみで、)
私を嫌うというだけの意味で、
(わたしのいえのめしつかいをばいしゅうして)
私の家の召使を買収して
(ことごとにわたしにはんこうさせたなら、)
事ごとに私に反抗させたなら、
(これまたどんなものでしょう。)
これまたどんなものでしょう。
(もしかれらのきんりょくのはいごに)
もし彼らの金力の背後に
(じんかくというものがたしょうでも)
人格というものが多少でも
(あるならば、かれらはけっして)
あるならば、彼らはけっして
(そんなむほうをはたららくきには)
そんな無法を働らく気には
(なれないのであります。こうした)
なれないのであります。こうした
(へいがいはみなどうぎじょうのこじんしゅぎを)
弊害はみな道義上の個人主義を
(りかいしえないからおこるので、)
理解し得ないから起るので、
(じぶんだけを、けんりょくなりきんりょくなりで、)
自分だけを、権力なり金力なりで、
(いっぱんにおしひろめようとする)
一般に推し広めようとする
(わがままにほかならんのであります。)
わがままにほかならんのであります。
(だからこじんしゅぎ、わたしのここに)
だから個人主義、私のここに
(のべるこじんしゅぎというものは、)
述べる個人主義というものは、
(けっしてぞくじんのかんがえているように)
けっして俗人の考えているように
(こっかにきけんをおよぼすものでも)
国家に危険を及ぼすものでも
(なんでもないので、ほかのそんざいを)
何でもないので、他の存在を
(そんけいするとどうじにじぶんのそんざいを)
尊敬すると同時に自分の存在を
(そんけいするというのがわたしのかいしゃく)
尊敬するというのが私の解釈
(なのですから、りっぱなしゅぎだろうと)
なのですから、立派な主義だろうと
(わたしはかんがえているのです。もっと)
私は考えているのです。もっと
(わかりやすくいえば、とうはこころがなくって)
解りやすく云えば、党派心がなくって
(りひがあるしゅぎなのです。)
理非がある主義なのです。
(ほうとうをむすびだんたいをつくって、)
朋党を結び団隊を作って、
(けんりょくやきんりょくのためにもうどうしない)
権力や金力のために盲動しない
(ということなのです。それだから)
という事なのです。それだから
(そのりめんにはひとにしられない)
その裏面には人に知られない
(さびしさもひそんでいるのです。)
淋しさも潜んでいるのです。
(すでにとうはでないいじょう、われは)
すでに党派でない以上、我は
(われのいくべきみちをかってにいくだけで、)
我の行くべき道を勝手に行くだけで、
(そうしてこれとどうじに、たにんの)
そうしてこれと同時に、他人の
(いくべきみちをさまたげないのだから、)
行くべき道を妨げないのだから、
(あるときあるばあいにはにんげんが)
ある時ある場合には人間が
(ばらばらにならなければなりません。)
ばらばらにならなければなりません。
(そこがさびしいのです。わたしがかつて)
そこが淋しいのです。私がかつて
(あさひしんぶんのぶんげいらんをたんにんしていたころ、)
朝日新聞の文芸欄を担任していた頃、
(だれであったか、みやけせつれいさんの)
だれであったか、三宅雪嶺さんの
(わるくちをかいたことがありました。)
悪口を書いた事がありました。
(もちろんじんしんこうげきではないので、)
もちろん人身攻撃ではないので、
(ただひひょうにすぎないのです。)
ただ批評に過ぎないのです。
(しかもそれがたったにさんぎょうあったのです。)
しかもそれがたった二三行あったのです。
(でたのはいつごろでしたか、)
出たのはいつごろでしたか、
(わたしはたんにんしゃであったけれども)
私は担任者であったけれども
(びょうきをしたからあるいはその)
病気をしたからあるいはその
(びょうきちゅうかもしれず、またはびょうきちゅうでなくって、)
病気中かも知れず、または病気中でなくって、
(わたしがだしてよいとにんていしたのかも)
私が出して好いと認定したのかも
(しれません。とにかくそのひひょうが)
知れません。とにかくその批評が
(あさひのぶんげいらんにのったのです。)
朝日の文芸欄に載ったのです。
(すると「にほんおよびにほんじん」の)
すると「日本及び日本人」の
(れんちゅうがいかりました。わたしのところへ)
連中が怒りました。私の所へ
(ちょくせつにはかけあわなかったけれども、)
直接にはかけ合わなかったけれども、
(とうじわたしのしたばたらき)
当時私の下働き