29 ユリウス・カエサル
順位 | 名前 | スコア | 称号 | 打鍵/秒 | 正誤率 | 時間(秒) | 打鍵数 | ミス | 問題 | 日付 |
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1 | ぽんこつラーメン | 5512 | A | 5.8 | 94.4% | 387.1 | 2267 | 133 | 33 | 2024/11/05 |
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問題文
(ゆりうすかえさるは、ぜん1せいきにげんざいの)
ユリウス・カエサルは、前1世紀に現在の
(ふらんす、べるぎー、およびどいつせいぶをせいふくしてとうかくをあらわした)
フランス、ベルギー、およびドイツ西部を征服して頭角を現した
(ろーまのしょうぐんだ。かえさるのたかまるにんきに、ぽんぺいうすをちゅうしんと)
ローマの将軍だ。カエサルの高まる人気に、ポンペイウスを中心と
(するろーまげんろういんはきょういをかんじ、かえさるにぐんたいをかいさんせよとめいじた。)
するローマ元老院は脅威を感じ、カエサルに軍隊を解散せよと命じた。
(かえさるはこれをきょぜつ。ぐんだんをひきいてるびこんがわをわたり(これが、)
カエサルはこれを拒絶。軍団を率いてルビコン川を渡り(これが、
(もはやひきかえすことのできないけっていてきしゅんかんとなった)しゅとろーまへ)
もはや引き返すことのできない決定的瞬間となった)首都ローマへ
(しんぐんして、ないらんをひきおこした。かれはてきぐんをおってよーろっぱをおうだんし、)
進軍して、内乱を引き起こした。彼は敵軍を追ってヨーロッパを横断し、
(さいごにはぽんぺいうすがあんさつされたえじぷとにやってきた。えじぷとでは)
最後にはポンペイウスが暗殺されたエジプトにやってきた。エジプトでは
(くれおぱとらとこいにおち、かのじょをじょおうにすえた。ろーまにもどると、)
クレオパトラと恋に落ち、彼女を女王に据えた。ローマに戻ると、
(どくさいかんとしてくにをおさめた。かえさるは、ぜん44ねん3がつ15にち、はんたいはによって)
独裁官として国を治めた。カエサルは、前44年3月15日、反対派によって
(あんさつされた。あんさつはんのなかには、かれがめをかけていたぶるーとぅすもいた。)
暗殺された。暗殺犯の中には、彼が目をかけていたブルートゥスもいた。
(かえさるについてはたすうのいつわがつたえられている。まだ20だいのころ、)
カエサルについては多数の逸話が伝えられている。まだ20代のころ、
(ひがしちちゅうかいでかいぞくにつかまったことがある。じゅうしゃたちがみのしろきんをはらって)
東地中海で海賊に捕まったことがある。従者たちが身代金を払って
(かいほうされると、かれはげんちのゆうりょくしゃたちからへいをつのってしょうぶたいをつくり、)
解放されると、彼は現地の有力者たちから兵を募って小部隊を作り、
(かいぞくをみつけだしてぜんいんをはりつけにした。そのあと、ぜん62ねん、)
海賊を見つけ出して全員をはりつけにした。その後、前62年、
(かえさるがろーませいかいでしゅっせをつづけていたときに、すきゃんだるが)
カエサルがローマ政界で出世を続けていたときに、スキャンダルが
(もちあがった。ぷぶりうすくろでぃうすというなのきぞくが、だんしきんせいの)
持ち上がった。プブリウス・クロディウスという名の貴族が、男子禁制の
(しゅうきょうぎしきのばにしのびこんでいたのをはっけんされた。このぎしきはかえさるのていたくで)
宗教儀式の場に忍び込んでいたのを発見された。この儀式はカエサルの邸宅で
(おこなわれており、そのため、くろでぃうすがそのばにいたのはかえさるのつま)
行われており、そのため、クロディウスがその場にいたのはカエサルの妻
(ぽんぺいあとみっつうしていたからだとのうわさが、たちまちのうちにひろまった。)
ポンペイアと密通していたからだとの噂が、たちまちのうちに広まった。
(かえさるは、うわさがしんじつでないことをしっていたし、げんにそうはつげんもしている。)
カエサルは、噂が真実でないことを知っていたし、現にそう発言もしている。
(それでも、かえさるのつまやかぞくはうたがわれることがあってはならないといって、)
それでも、カエサルの妻や家族は疑われることがあってはならないと言って、
(つまをりえんした。かえさるは、ぽんぺいうすとのないらんちゅうにげんろういんからどくさいかんに)
妻を離縁した。カエサルは、ポンペイウスとの内乱中に元老院から独裁官に
(にんめいされた。とうじはききのじだいであり、しどうしゃにはあっとうてきなひじょうたいけんがひつようだと)
任命された。当時は危機の時代であり、指導者には圧倒的な非常大権が必要だと
(かんがえられたからである。しかしひじょうじがおわることはなかった。きょうわせいは、)
考えられたからである。しかし非常時が終わることはなかった。共和政は、
(にどとかいふくされなかった。かえさるはどくさいかんとしてくにをおさめたが、げんろういんに)
二度と回復されなかった。カエサルは独裁官として国を治めたが、元老院に
((すでにかえさるはばかりでうまっていたが)しもんしてきょうわせいのでんとうをそんちょう)
(すでにカエサル派ばかりで埋まっていたが)諮問して共和政の伝統を尊重
(しているていさいをたもつよう、おおいにきをくばっていた。しかしさいばんねんにはきがゆるみ、)
している体裁を保つよう、大いに気を配っていた。しかし最晩年には気が緩み、
(しはいかのあじあしょみんぞくがかれをかみとしてすうはいするのをほうちし、じしんのしょうぞうをえがいた)
支配下のアジア諸民族が彼を神として崇拝するのを放置し、自身の肖像を描いた
(こうかをちゅうぞうした。こうかにしょうぞうをえがかれるというめいよをせいぜんにろーまじんがうけた)
硬貨を鋳造した。硬貨に肖像を描かれるという名誉を生前にローマ人が受けた
(ことは、それまでなかった。こうかには、「しゅうしんどくさいかん」ときざまれていた。)
ことは、それまでなかった。硬貨には、「終身独裁官」と刻まれていた。
(このようなかどのめいよがひとびとのはんかんをつのらせ、かえさるのだとうあんさつへと)
このような過度の名誉が人々の反感を募らせ、カエサルの打倒・暗殺へと
(つながったとかんがえられている。)
つながったと考えられている。