葉桜と魔笛3/太宰治
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問題文
(わたしも、まだそのころはにじゅうになったばかりで、わかいおんなとしてのくちにはいえぬ)
私も、まだそのころは二十になったばかりで、若い女としての口には言えぬ
(くるしみも、いろいろあったのでございます。さんじゅっつうあまりの、そのてがみを、)
苦しみも、いろいろあったのでございます。三十通あまりの、その手紙を、
(まるでたにがわがながれはしるようなかんじで、ぐんぐんよんでいって、きょねんのあきの、)
まるで谷川が流れ走るような感じで、ぐんぐん読んでいって、去年の秋の、
(さいごのいっつうのてがみを、よみかけて、おもわずたちあがってしまいました。らいでんに)
最後の一通の手紙を、読みかけて、思わず立ちあがってしまいました。雷電に
(うたれたときのきもちって、あんなものかもしれませぬ。のけぞるほどに、)
打たれたときの気持って、あんなものかも知れませぬ。のけぞるほどに、
(ぎょっといたしました。いもうとたちのれんあいは、こころだけのものではなかったのです。)
ぎょっと致しました。妹たちの恋愛は、心だけのものではなかったのです。
(もっとみにくくすすんでいたのでございます。わたしは、てがみをやきました。いっつう)
もっと醜くすすんでいたのでございます。私は、手紙を焼きました。一通
(のこらずやきました。m・tは、そのじょうかまちにすむ、まずしいかじんのようすで、)
のこらず焼きました。M・Tは、その城下まちに住む、まずしい歌人の様子で、
(ひきょうなことには、いもうとのびょうきをしるとともに、いもうとをすて、もうおたがいわすれて)
卑怯なことには、妹の病気を知るとともに、妹を捨て、もうお互い忘れて
(しまいましょう、などざんこくなことへいきでそのてがみにもかいてあり、それっきり、)
しまいましょう、など残酷なこと平気でその手紙にも書いてあり、それっきり、
(いっつうのてがみもよこさないらしいぐあいでございましたから、これは、わたしさえ)
一通の手紙も寄こさないらしい具合でございましたから、これは、私さえ
(だまっていっしょうひとにかたらなければ、いもうとは、きれいなしょうじょのままでしんでゆける。)
黙って一生ひとに語らなければ、妹は、きれいな少女のままで死んでゆける。
(だれも、ごぞんじないのだ、とわたしはくるしさをむねひとつにおさめて、けれども、その)
誰も、ごぞんじ無いのだ、と私は苦しさを胸一つにおさめて、けれども、その
(じじつをしってしまってからは、なおのこといもうとがかわいそうで、いろいろきかいな)
事実を知ってしまってからは、なおのこと妹が可哀そうで、いろいろ奇怪な
(くうそうもうかんで、わたしじしん、むねがうずくような、あまずっぱい、それは、いやな)
空想も浮かんで、私自身、胸がうずくような、甘酸っぱい、それは、いやな
(せつないおもいで、あのようなくるしみは、としごろのおんなのひとでなければ、)
切ない思いで、あのような苦しみは、年ごろの女のひとでなければ、
(わからない、いきじごくでございます。まるで、わたしがじしんで、そんなうきめにあった)
わからない、生地獄でございます。まるで、私が自身で、そんな憂き目に逢った
(かのように、わたしはひとりでくるしんでおりました。あのころは、わたしじしんも、)
かのように、私はひとりで苦しんでおりました。あのころは、私自身も、
(ほんとに、すこし、おかしかったのでございます。)
ほんとに、少し、おかしかったのでございます。
(「ねえさん、よんでごらんなさい。なんのことやら、あたしには、ちっとも)
「姉さん、読んでごらんなさい。なんのことやら、あたしには、ちっとも
(わからない。」)
わからない。」
(わたしは、いもうとのふしょうじきをしんからにくくおもいました。)
私は、妹の不正直をしんから憎く思いました。
(「よんでいいの?」そうこごえでたずねて、いもうとからてがみをうけとるわたしのゆびさきは、)
「読んでいいの?」そう小声で尋ねて、妹から手紙を受け取る私の指先は、
(とうわくするほどふるえていました。ひらいてよむまでもなく、わたしは、このてがみの)
当惑するほど震えていました。ひらいて読むまでもなく、私は、この手紙の
(もんくをしっております。けれどもわたしは、なにくわぬかおをしてそれをよまなければ)
文句を知っております。けれども私は、何くわぬ顔をしてそれを読まなければ
(いけません。てがみには、こうかかれてあるのです。わたしは、てがみをろくろく)
いけません。手紙には、こう書かれてあるのです。私は、手紙をろくろく
(みずに、こえたててよみました。)
見ずに、声立てて読みました。
(きょうは、あなたにおわびをもうしあげます。ぼくがきょうまで、がまんして)
きょうは、あなたにおわびを申し上げます。僕がきょうまで、がまんして
(あなたにおてがみをさしあげなかったわけは、すべてぼくのじしんのなさからで)
あなたにお手紙を差し上げなかったわけは、すべて僕の自信の無さからで
(あります。ぼくは、まずしく、むのうであります。あなたひとりを、どうしてあげる)
あります。僕は、貧しく、無能であります。あなたひとりを、どうしてあげる
(こともできないのです。ただことばで、そのことばには、みじんもうそがないので)
こともできないのです。ただ言葉で、その言葉には、みじんも嘘が無いので
(ありますが、ただことばで、あなたへのあいのしょうめいをするよりほかには、なにひとつ)
ありますが、ただ言葉で、あなたへの愛の証明をするよりほかには、何ひとつ
(できぬぼくじしんのむりょくが、いやになったのです。あなたを、いちにちも、いやゆめに)
できぬ僕自信の無力が、いやになったのです。あなたを、一日も、いや夢に
(さえ、わすれたことはないのです。けれども、ぼくは、あなたを、どうしてあげる)
さえ、忘れたことはないのです。けれども、僕は、あなたを、どうしてあげる
(こともできない。それが、つらさに、ぼくは、あなたと、おわかれしようと)
こともできない。それが、つらさに、僕は、あなたと、おわかれしようと
(おもったのです。あなたのふこうがおおきくなればなるほど、そうしてぼくのあいじょうが)
思ったのです。あなたの不幸が大きくなればなるほど、そうして僕の愛情が
(ふかくなればなるほど、ぼくはあなたにちかづきにくくなるのです。)
深くなればなるほど、僕はあなたに近づきにくくなるのです。
(おわかりでしょうか。ぼくは、それをぼくじしんのせいぎのせきにんかんからとげして)
おわかりでしょうか。僕は、それを僕自身の正義の責任感からと解して
(いました。けれども、それは、ぼくのまちがい。ぼくは、はっきりまちがって)
いました。けれども、それは、僕のまちがい。僕は、はっきり間違って
(おりました。おわびをもうしあげます。ぼくは、あなたにたいしてかんぺきのにんげんに)
居りました。おわびを申し上げます。僕は、あなたに対して完璧の人間に
(なろうと、がよくをはっていただけのことだったのです。ぼくたち、さびしく)
なろうと、我慾を張っていただけのことだったのです。僕たち、さびしく
(むりょくなのだから、ほかになんにもできないのだから、せめてことばだけでも、せいじつ)
無力なのだから、他になんにもできないのだから、せめて言葉だけでも、誠実
(こめておおくりするのが、まことの、けんじょうのうつくしいいきかたである、とぼくはいまでは)
こめてお贈りするのが、まことの、謙譲の美しい生き方である、と僕はいまでは
(しんじています。つねに、じしんにできるかぎりのはんいで、それをなしとげるように)
信じています。つねに、自身にできる限りの範囲で、それを為し遂げるように
(どりょくすべきだとおもいます。どんなにちいさいことでもよい。たんぽぽのはないちりんの)
努力すべきだと思います。どんなに小さいことでもよい。タンポポの花一輪の
(おくりものでも、けっしてはじずにさしだすのが、もっともゆうきある、おとこらしいたいどで)
贈りものでも、決して恥じずに差し出すのが、最も勇気ある、男らしい態度で
(あるとしんじます。ぼくは、もうにげません。ぼくは、あなたをあいしています。まいにち、)
あると信じます。僕は、もう逃げません。僕は、あなたを愛しています。毎日、
(まいにち、うたをつくっておおくりします。それから、まいにち、まいにち、あなたのおにわのへいの)
毎日、歌をつくってお送りします。それから、毎日、毎日、あなたのお庭の塀の
(そとで、くちぶえふいて、おきかせしましょう。あしたのばんのろくじには、さっそく)
そとで、口笛吹いて、お聞かせしましょう。あしたの晩の六時には、さっそく
(くちぶえ、ぐんかんまあちふいてあげます。ぼくのくちぶえは、うまいですよ。いまのところ、)
口笛、軍艦マアチ吹いてあげます。僕の口笛は、うまいですよ。いまのところ、
(それだけが、ぼくのちからで、わけなくできるほうしです。おわらいになっては、)
それだけが、僕の力で、わけなくできる奉仕です。お笑いになっては、
(いけません。いや、おわらいになってください。げんきでいてください。かみさまは、)
いけません。いや、お笑いになって下さい。元気でいて下さい。神さまは、
(きっとどこかでみています。ぼくは、それをしんじています。あなたも、ぼくも、)
きっとどこかで見ています。僕は、それを信じています。あなたも、僕も、
(ともにかみのちょうじです。きっと、うつくしいけっこんできます。)
ともに神の寵児です。きっと、美しい結婚できます。