私の個人主義8

順位 | 名前 | スコア | 称号 | 打鍵/秒 | 正誤率 | 時間(秒) | 打鍵数 | ミス | 問題 | 日付 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | Par2 | 4314 | C+ | 4.3 | 98.3% | 489.0 | 2146 | 36 | 65 | 2025/03/04 |
関連タイピング
問題文
(そうしてどこからかひとすじの)
そうしてどこからか一筋の
(ひひかりがさしてこないかしらん)
日光が射して来ないかしらん
(というきぼうよりも、こちらから)
という希望よりも、こちらから
(たんしょうとうをもちいてたったひとすじで)
探照灯を用いてたった一条で
(よいからさきまであきらかにみたい)
好いから先まで明らかに見たい
(というきがしました。ところが)
という気がしました。ところが
(ふこうにしてどちらのほうがくをながめ)
不幸にしてどちらの方角を眺め
(てもぼんやりしているのです。)
てもぼんやりしているのです。
(ぼうっとしているのです。あたかも)
ぼうっとしているのです。あたかも
(ふくろのなかにつめられてでることのでき)
嚢の中に詰められて出る事のでき
(ないひとのようなきもちがするのです。)
ない人のような気持がするのです。
(わたしはわたしのてにただいっぽんのきりさえあれ)
私は私の手にただ一本の錐さえあれ
(ばどこかいちかしょつきやぶってみせるの)
ばどこか一カ所突き破って見せるの
(だがと、しょうそうりぬいたのですが、)
だがと、焦燥り抜いたのですが、
(あいにくそのきりはひとからあたえられ)
あいにくその錐は人から与えられ
(ることもなく、またじぶんではっけんする)
る事もなく、また自分で発見する
(わけにもいかず、ただはらのそこではこ)
訳にも行かず、ただ腹の底ではこ
(のさきじぶんはどうなるだろうとおもって、)
の先自分はどうなるだろうと思って、
(ひとしれずいんうつなひをおくったのであり)
人知れず陰欝な日を送ったのであり
(ます。)
ます。
(わたしはこうしたふあんをいだいてだいがくを)
私はこうした不安を抱いて大学を
(そつぎょうし、おなじふあんをつれてまつやまか)
卒業し、同じ不安を連れて松山か
(らくまもとへひっこし、またどうようのふあんを)
ら熊本へ引越し、また同様の不安を
(むねのそこにたたんでついにがいこくまでわたり)
胸の底に畳んでついに外国まで渡
(ったのであります。しかしいったん)
ったのであります。しかしいったん
(がいこくへりゅうがくするいじょうはたしょうのせきにん)
外国へ留学する以上は多少の責任
(をあらたにじかくさせられるにはきま)
を新たに自覚させられるにはきま
(っています。それでわたしはできるだけ)
っています。それで私はできるだけ
(ほねをおってなにかしようとどりょくしまし)
骨を折って何かしようと努力しまし
(た。しかしどんなほんをよんでもいぜん)
た。しかしどんな本を読んでも依然
(としてじぶんはふくろのなかからでるわけにまい)
として自分は嚢の中から出る訳に参
(りません。このふくろをつきやぶるきりはひとし)
りません。この嚢を突き破る錐は倫
(あつしちゅうさがしてあるいてもみつかりそうに)
敦中探して歩いても見つかりそうに
(なかったのです。わたしはげしゅくのひとまの)
なかったのです。私は下宿の一間の
(なかでかんがえました。つまらないとおもい)
中で考えました。つまらないと思い
(ました。いくらしょもつをよんでもはらの)
ました。いくら書物を読んでも腹の
(あしにはならないのだとあきらめました。)
足にはならないのだと諦めました。
(どうじになにのためにしょもつをよむのかより)
同時に何のために書物を読むのか自
(ぶんでもそのいみがわからなくなってき)
分でもその意味が解らなくなって来
(ました。)
ました。
(このときわたしははじめてぶんがくとはどんな)
この時私は始めて文学とはどんな
(ものであるか、そのがいねんをこんぽんてきに)
ものであるか、その概念を根本的に
(じりきでつくりあげるよりほかに、わたしを)
自力で作り上げるよりほかに、私を
(すくうとはないのだとさとったのです。)
救う途はないのだと悟ったのです。
(いままではまったくたにんほんいで、ねのない)
今までは全く他人本位で、根のない
(うきくさのように、そこいらをでたらめに)
萍のように、そこいらをでたらめに
(ひょうよっていたから、だめであったと)
漂よっていたから、駄目であったと
(いうことにようやくきがついたのです。)
いう事にようやく気がついたのです。
(わたしのここにたにんほんいというのは、より)
私のここに他人本位というのは、自
(ぶんのさけをひとにのんでもらって、あとか)
分の酒を人に飲んでもらって、後か
(らそのひんぴょうをきいて、それをりがひ)
らその品評を聴いて、それを理が非
(でもそうだとしてしまういわゆるひと)
でもそうだとしてしまういわゆる人
(まねをさすのです。ひとくちにこういっ)
真似を指すのです。一口にこう云っ
(てしまえば、ばからしくきこえるか)
てしまえば、馬鹿らしく聞こえるか
(ら、だれもそんなひとまねをするわけがな)
ら、誰もそんな人真似をする訳がな
(いとふしんがられるかもしれませんが、)
いと不審がられるかも知れませんが、
(じじつはけっしてそうではないのです。)
事実はけっしてそうではないのです。
(ちかごろはやるべるぐそんでもおいけん)
近頃流行るベルグソンでもオイケン
(でもみんなむこうのひとがとやかくいう)
でもみんな向うの人がとやかくいう
(のでにほんじんもそのしりうまにのってさわぐ)
ので日本人もその尻馬に乗って騒ぐ
(のです。ましてそのころはせいようじんのい)
のです。ましてその頃は西洋人のい
(うことだといえばなんでもかでももうじゅうし)
う事だと云えば何でもかでも盲従し
(ていばったものです。だからむやみ)
て威張ったものです。だからむやみ
(にかたかなをならべてひとにふいちょうしてとくい)
に片仮名を並べて人に吹聴して得意
(がったおとこがひ)
がった男が比