33 ハギア・ソフィア

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1 ぽんこつラーメン 5318 B++ 5.6 94.8% 345.2 1941 105 30 2024/11/05

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(はぎあそふぃあは、こんすたんてぃのーぷる(げんいすたんぶーる)で)

ハギア・ソフィアは、コンスタンティノープル(現イスタンブール)で

(びざんつていこくこうていゆすてぃにあぬすいっせいのじきじきのめいれいによりきりすときょうの)

ビザンツ帝国皇帝ユスティニアヌス一世の直々の命令によりキリスト教の

(だいせいどうとしてけんせつされたたてものだ。けんどうしきでゆすてぃにあぬすていは、)

大聖堂として建設された建物だ。献堂式でユスティニアヌス帝は、

(かつてえるされむにゆうめいなゆだやきょうのしんでんをたてたきゅうやくせいしょのおうそろもんを)

かつてエルサレムに有名なユダヤ教の神殿を建てた旧約聖書の王ソロモンを

(ひきあいにだし、「わたしはそろもんおうにかった」とのべたとつたえられている。)

引き合いに出し、「私はソロモン王に勝った」と述べたと伝えられている。

(はぎあそふぃあについては、とうようのしんぴしゅぎをぱんておんなどていせいろーまの)

ハギア・ソフィアについては、東洋の神秘主義をパンテオンなど帝政ローマの

(だいきぼけんちくとむすびつけたものだといわれることがおおい。)

大規模建築と結びつけたものだと言われることが多い。

(このけっさくけんちくをせっけいしたのは、けんちくかではなくすうがくしゃであったみれとすの)

この傑作建築を設計したのは、建築家ではなく数学者であったミレトスの

(いしどろすととられすのあんてみおすで、)

イシドロスとトラレスのアンテミオスで、

(532ねんから537ねんのあいだにけんせつされた。)

532年から537年の間に建設された。

(だいせいどうのどーむ(まるやね)はたかさがげんざいやく55めーとるあり、よすみにあって)

大聖堂のドーム(丸屋根)は高さが現在約55メートルあり、四隅にあって

(どーむをささえるぺんでんてぃヴ(きゅうめんさんかっけいのぶぶん)が、どーむのじゅうりょうを)

ドームを支えるペンデンティヴ(球面三角形の部分)が、ドームの重量を

(よんほんのはしらにきんとうにぶんさんさせている。どーむのきぶにはまどが40あり、)

四本の柱に均等に分散させている。ドームの基部には窓が40あり、

(そこからないぶにひかりがさしこむため、どーむはおもさがないようにかんじられ、)

そこから内部に光が差し込むため、ドームは重さがないように感じられ、

(まるでれいはいするひとびとのずじょうでういているようにみえる。とうしょはおうごんのもざいくと)

まるで礼拝する人々の頭上で浮いているように見える。当初は黄金のモザイクと

(そうしょくぱたーんのみでかざられていた。そのあと、れきだいのこうていたちがせいじんたちのずぞうを)

装飾パターンのみで飾られていた。その後、歴代の皇帝たちが聖人たちの図像を

(かずおおくついかしていった。ぎりしあごで「せいなるちえのきょうかい」をいみする)

数多く追加していった。ギリシア語で「聖なる知恵の教会」を意味する

(はぎあそふぃあは、ながねんにわたってじしんによりおおきなひがいをうけてきた。)

ハギア・ソフィアは、長年にわたって地震により大きな被害を受けてきた。

(もともとはびざんつこうていのこじんようきょうかいだったが、1453ねんにおすまんていこくが)

もともとはビザンツ皇帝の個人用教会だったが、1453年にオスマン帝国が

(こんすたんてぃのーぷるをこうりゃくしたあとは、もすくにつくりかえられた。)

コンスタンティノープルを攻略したあとは、モスクに作り替えられた。

など

(いすらむきょうではしょうぞうがはきんじられているので、せいぞうをえがいたもざいくがはすべて)

イスラム教では肖像画は禁じられているので、聖像を描いたモザイク画はすべて

(しっくいでうわぬりされた。よんほんのみなれっと(しんじゃにれいはいをよびかけるためのとう)が)

漆喰で上塗りされた。四本のミナレット(信者に礼拝を呼びかけるための塔)が

(ぞうちくされ、あらびあもじのそうしょくがほどこされた。このもじそうしょくは、いまもたてものないぶで)

増築され、アラビア文字の装飾が施された。この文字装飾は、今も建物内部で

(みることができる。1935ねん、とるこだいとうりょうむすたふぁけまる)

見ることができる。1935年、トルコ大統領ムスタファ・ケマル・

(あたてゅるくのもとでたてものはひしゅうきょうかされてあやそふぃあはくぶつかんとなり、)

アタテュルクの下で建物は非宗教化されてアヤソフィア博物館となり、

(げんざいのいすたんぶーるでひっけんのかんこうすぽっとになっている。)

現在のイスタンブールで必見の観光スポットになっている。

(1993ねんにゆねすこは、はぎあそふぃあを)

1993年にユネスコは、ハギア・ソフィアを

(せかいでもっともききにさらされているしせきりすとにけいさいした。いらい、)

世界で最も危機にさらされている史跡リストに掲載した。以来、

(たてもののきそぶぶんはほきょうされ、かつてのもざいくがからはしっくいが)

建物の基礎部分は補強され、かつてのモザイク画からは漆喰が

(つぎつぎととりのぞかれている。)

次々と取り除かれている。

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